〈日常系〉とか〈空気系〉とか呼ばれているものの話。
とはいえ、審査にかかわった修士論文を読んでいる時に思いついたことゆえ、論者のプライオリティを尊重して一部ぼやかして書く。
さて、〈日常系〉とか〈空気系〉とか呼ばれているものはネット事典等ではどのように捉えられているか、というのを挙げてみよう。特に厳密な定義を求めてのことではなく、どんな感じで捉えられているのか、見ていこうという程度の参照である。
空気系(くうきけい)若しくは日常系(にちじょうけい)[1]とは、2000年代中頃以降に見られる特定のアニメ作品群[2][3]。登場人物、とりわけ若い女性キャラクター達の会話を軸に、大きな事件や出来事を伴わない何気ない日常を淡々と描写している点が特徴とされる[2][3]。『Wikipedia』
一言で説明すると「劇的なストーリー展開を極力排除した、登場人物達が送る日常を淡々と描写するもの」。作品全体の雰囲気・空気感を楽しむのが主な楽しみ方であるため、こう呼ばれる。『ニコニコ大百科』
登場人物が各々の個性を発揮しつつ、「日常」を送る物語の事。「空気系」という呼び名が提案された時期もあったが、現在はごく一部の研究者しか使用していない。『ピクシブ百科事典』
件の修士論文では〈日常系〉〈空気系〉と特徴を同じくする作品が2000年代よりずっと前に存在しているというのが主な主張だった。
もちろん、〈日常系〉〈空気系〉と同様な傾向があるものについては、既にいくつか主張があって、たとえばその論文では植田まさしの4コママンガを起源とする先行研究がふれられていたりした。
で、思いついたのは、別の起源の可能性。いや、既に指摘はあるのかもしれませんが。
〈日常系〉〈空気系〉と呼ばれる作品が雨後の筍のように2000年代になって次々現れるようになった契機として、上記のネット事典は次のように述べている。
セカイ系の解説書である前島賢の『セカイ系とは何か』で、空気系(ないし日常系)と呼ばれる作品についても言及している。「萌え4コマ」と呼ばれる作品の例として『らき☆すた』、『けいおん!』、さらに同ジャンルのヒット作『あずまんが大王』を挙げて論評している[7]。『Wikipedia』
『ピクシブ百科事典』では、特に起源についての言及は無いが、「あずまんが大王」は「主な日常系作品」の中に含まれている。
では、どのように「あずまんが大王」は登場したのか、というと作者のあずまきよひこがパロディマンガ出身だったということが関係してくる。今では新刊では入手できないこれとか、あれとか。
ここで話は1980年代前半に同人誌の二次創作マンガを読んだ記憶に遡る。当時は男性読者のみならず女性読者の間でも『週刊少年ジャンプ』連載「キャプテン翼」が人気で、彼女たちは読むだけではなく二次創作を書くようになっていた。現在は女性読者が少年マンガ誌のマンガを読み、二次創作を書くなど当たり前すぎることだが、その頃はまだ男性読者に気づかれずに行われていたのだ。
ある時、そんなマンガの一つが『OUT』か『ファンロード』あたりに掲載されていた、のだと思う。同人誌で読んだのでは無いので、当時読んでいた雑紙または書店で立ち読みした雑誌で読んだはずだ、たぶん。なにしろ30年以上前のことなので記憶は曖昧だ。
しかし、内容は明確に覚えている。大空翼のライバル日向小次郎とそのチームメイトの、しかし試合でも練習でもない、東邦学園サッカー部寮での日常が描かれた作品だった。メインになるのは、ライバルである翼のことばかり考えている小次郎にもにょっている(そんな言葉は当時ないが、大体そんな感じ)若島津健の心情であった。
当時のこの作品を読んだ印象としては、こういうのを読みたい人がいるのだなあ、というだけで、そんなに強い違和感を持つということは無かった。なにしろ10頁ほどの長さだったので、試合を描くなんてことは無理に決まっている。ものたりないけど、やむを得ないのだな、というくらいに思っていたはずだ。
しかし、今思えば、その二次創作(当時はこんな言葉も無かった)マンガは、オリジナルでは試合や練習ばかりしているサッカー少年たちの日常を描くということに眼目があったのだ。オリジナルでは読めない、彼らの感情の機微が現れる場面を垣間見たい、いや、自分の妄想を形にしたい、同担に読ませて尊んでほしい(こんな言い回しも当時は無かった)という欲望により書かれたものだったわけである。
このオリジナルで描かれていない登場人物の日常を描く、という嗜好は、ジェンダー的には女性の読者=作者が元々担っていたものである。さきほど名前を挙げた『OUT』には「機動戦士ガンダム」のパロディ浪花愛「シャア猫のこと」や「伝説巨神イデオン」のパロディ岩崎摂「MY HOME ギジェ」が連載されていた。いずれもオリジナルでは戦いに明け暮れていたキャラクターののほほんとした生活を描いた二作の作者はいずれも女性である。
(その修士論文でも論じられていたのだが)少女小説や少女マンガには、元々大きなストーリーを持たない作品が多く、日常を描く欲望は女性ジェンダーとして馴致された人たちに親和性が高いのかもしれない。
同じ「キャプテン翼」を読んでいても、少年マンガに親しんでいてその世界観に違和感を感じない、男性ジェンダーに馴染んだ人たちが、オレの考えた必殺シュートや、おれの考えたその必殺シュートを防ぐ最強のセーブなどを考えていたのとはひと味違う。その妄想の行きついた果てが、おそらく「イナズマイレブン」(リンク先は動画で音が出るので注意)なのだろう(とはいえこの作品も多くの日常妄想を掻き立ててはいたが)。
しかし、同人誌文化においてはそのジェンダーにおける境界線は、社会の他の部分でよりも強固なものではなかったのかもしれない。
次第に男性ジェンダーとして生きる人たちの間にも、彼らが親しんでいる美少女キャラクターたちが試合したり戦闘していたりしない日常を垣間見たい、妄想したいという欲望が生れていったと考えられる。全く実証性はなく直観的に書くが、まさに「美少女」をタイトルに冠する1990年代前半の「セーラームーン」あたりが境界線越えの作品ではないだろうか。
それが二次創作としてではなく、オリジナル作品として現れ、また多くの人に受けいれられたのが1990年代末に連載の始まった「あずまんが大王」だ、というのが今回の思いつきのメインテーマである。
とはいえ、ちよちゃんが天才少女で飛び級して高校に通っている、という設定に実は二次創作的な雰囲気が漂っている。世界の未来を変えるかもしれない天才少女をめぐる各国エージェントと日本政府直属のボディガードとのバトルものの二次創作、いつもトラブルに巻きこまれる美浜ちよが何も無い日常をどう送っているのかを描いたパロディとして考えるとわかりやすいと思う。








