先日の黒キンディに龍がお空を飛んで行ってました。
個人の真実が神聖なる計画にマッチしてゆくことに対して
真に自己をあけわたしてゆく在り方…
それがますます問われています。
何をしていても、どのように無自覚に
耽溺に生きようとも私たちは愛されています。
その愛からは逃れられないのですが、愛でないふりをするのが好きであったり、楽しんでみたり…
昔に比べると驚くほどに四大元素霊達のあからさまな私たちへの介入的な在り方に驚くことがありますが、彼らもものを申したいのでしょう。
それほどハートを閉じている方々も未だ多いということなのでしょう。
ますます、私たちは受け取るキャパ、キャッチする感性、識別する能力、判断する技量と、決断してゆく勇気、具現化する行動力、受動性と能動性のパワーをうまく自分自身の内側でバランスよく混ぜ合わせながら、
チャクラはさらに上位チャクラとの融合を果たしてゆかねばなりません。
太陽系が完成したならば、その先に広がりゆく宇宙のように。
未知のものを既知化してゆく作業とは、遠い記憶を思い出す作業と似ています。
知らないのではなく、思い出す作業。
しかも、全く新しいことを思い出す作業。
なんだか日本語がおかしく聞こえますが、
実際そうなのです。
個人の神話は果てしなく壮大で、
それを思い出せる栄光は
聖なる流れに入らなければ達成されません。
固定化、安定化させずに
なおかつ、ブレない深いグラウンディング力を
求められています。
深く沈み込まずして、高く飛躍することは不可能で、グラウンディングが弱く、センタリングしていない人々はこれからますます浮遊してゆきます。
なぜ生きてゆくのかを私たちは何も知らないと
中島みゆきさんが唄いますが、
ほんとにその通りで、
無意識にも生きてゆけますが、
ウェイクアップコールは鳴り続けております。
神聖なる計画はすでに決まっているかの如く、
粛々とすべてが完璧にタペストリーを織り成してゆきます。
安心して不動の場所で微笑んでいてくださいとのことです。