私たちにカルマというものが存在すると考えるならば、ポジティブにもネガティヴにおいてもそれらを清算して、ダルマの境地へと…
最近、愛が欲しい欲しいオバケさんのお話を聞く機会が続きました。
Amaranaがブログに何か書くとですね、自分の事を言われていると勘違いする方がおられます。あなたのことではありません。広く大きな視点に立って書いておりますので、淡々と読んでくださいね^_^
「私はこれだけしてるのに、あの人からは何もしてもらってない。」など、パートナーシップにおいて損得のような言葉を聞くと寂しくなります。
これからの時代はご自身の愛をどれだけ広くたくさん表現できるか?の水瓶座の時代です💕
愛は与えるもの。
これも体感しないと非常に臭い陳腐な表現になってしまいますが、本当なんです。
愛が欲しい、愛されたい…
はたまた、肉欲だけでも満たしたい…
一生幸せになどなれません。
Amaranaもそうでした。
生まれた家庭はあまり安心できる場では
ありませんでした。
娘を生むまでずっと「愛って?」と
答えの出ないものを欲していました。
なので、最初に安堵と幸福感を
くれたのは男性ではなかったのですね。
赤ちゃんは無条件にこちらの愛を求めて来ます。そして、こちらも無条件に与えなければなりません。
この、無条件にというのが私にとっては
安心できたのかもしれません。
パートナーを本当は愛してなどいなくて、自分の枯渇する心が執着して、利用しているのだ、依存しているのだと知ってください。
依存の情の中にこそ愛があるように教えられてきました。
相手のために何かをすることが自分の苛立ちや、やってあげてるというような感覚、損をしている、と不毛な感情が湧き上がって来るような苦しみの相手とは結局、行く先でも今悩んでいる部分が問題となってくるのです。
もっと穏やかな関係性の方と出逢えるのに、執着したり、自己憐憫的に不幸な自分を嘆いているだけでは苦しみは終わりません。
自分が無条件に愛せる人が存在します。
女性こそ、愛したい性なのではないでしょうか?
男性もそうだと思います。本当に心底愛せるパートナーに出逢えると幸せです。
相手からは何も求めません。
なので、自分が愛したい方との出逢いを望んでください。
愛されたい、愛してくれる、結局、何かを与えてくれる、何かをしてくれる方を求めるのではなく…
それらは相手から奪う愛です。
それが、ディバインパートナーとの出逢いを遠ざけるのです。
Amaranaは思います。
どうしてみんな違う人と一緒にいるのだろうと…学べますけれどね、多くを。
多くの魂たちが自分が求める魂と出逢えるときなのですが、
やはり内側の統合がなされていることが重要なポイントのようです。