茹でカエルになっていませんか? 猫とカエルに見る本質 | アチューンメント&ヒーリングをお届けして16年*神聖な私に還り、気づきと変化を促すエネルギーワーク ~Clearness Work~

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物事に慣れてしまうと、その環境が自分にとって望ましくなかったとしても

居心地よく感じてしまったり、変化に適応できなくなってしまうことがあります

 

たとえば、

自分を大切にしてくれない相手から離れることができない、

習慣になっているからやめることができない、

セクシャル/モラルハラスメント等でも受け流してしまう、

やり過ごすことを覚えてしまう、

というように。

 

けれども、私たちは常に変化し続けてもいます。

 

その内容は人それぞれですけど、年を取らない人はいませんし、

寿命が来たら、肉体は消滅します。

 

***

 

知っている方も多いかもしれませんが、

熱湯の鍋の中にカエルを入れたら熱さで飛び出してしまう。

 

けれども、冷たい水を張った鍋の中にカエルを入れてゆでると

心地いいまま、

それが熱湯であることも気が付かずにやがては茹でられて

しまいます。

 

***

 

何が言いたいかというと、常に疑いの目を持つということ。

 

自らの周りに起きている変化が、

自分にとって適切なものなのか、

それともそうでないものなのか。

 

特にスピリチュアル的な目に見えない世界については

妄信するのではなく、取り入れるくらいの感覚が必要だと

私は思います。

 

それが娯楽や楽しみ、依存性をもたらないのなら、問題は

ありません。

 

けれども、もし、そうでない場合、一度立ち止まってみてください。

 

・・・身近な例を挙げるならスマートフォンがまさにそう。

 

以前、韓国に旅行した時、

車内のスマートフォン利用者の数にとてもびっくりしたんです。

みんなが前ではなく、下を向いているの。

 

それと同じことが数年後の日本でも起きています。

 

今、日本の電車内で数年前の韓国とよく似た景色を見ても

驚きません。

場合によっては私も移動しながらスマートフォンをチェックして

いたりもします。

 

慣れってそういうこと。

でも、同時にとても危うい。

 

だって、スマートフォンって便利な反面、使い方を誤ると

考える力や視力を奪ってしまうから。

 

気がついたら茹でカエルなんて嫌でしょう?

 

***

 

本記事は、スピリチュアルとは関係ないように見えるかも

しれませんが、これらはすべてのことに当てはまります。

 

金銭、仕事、人間関係、恋愛、ライフスタイル、

そして、思想や信条、内面のあり方。

 

自ら考え、行動する力を持たないと、【誰かに流されて】しまう。

 

結果として、気がついたら自分ではなくなってしまう。

 

自分が自分であるために。

 

繰り返しになりますが【必要に応じて】、

どんなに良さそうな人の言葉でも

どんなに好きな相手でも、

どんなに居心地がいい場所であっても、

疑いの目を持つことを大切にしてほしいと思います。

 

 

そういったご自分のご状況が混乱していてわからない時は

新レムリアングリッド癒しの花がおすすめ。

 

依存させずに物事の本質を見る目を養う側面があるので、

私もずいぶんとお世話になっています。

 

***

 

さてさて。

相変わらずまとまりがないのですが、本日はこの言葉にて〆

 

きわめて端的に、

【慣れに対する警鐘】をならしていると考えるのですが

いかがでしょう?

 

【ただ楽である。否楽そのものすらも感じ得ない。

日月を切り落し、天地を粉韲して不可思議の太平に入る。

死んでこの太平を得る。ありがたいありがたい。】

注:本文章にはさらに深い意味もあり、一側面でしかありません。

 

夏目漱石:「吾輩は猫である」より 抜粋の上、引用

好きな作家さんなので機会があったらいずれまた。