【好きな言葉】ゲシュタルトの祈り:魔法の言葉の続き | アチューンメント&ヒーリングをお届けして16年*神聖な私に還り、気づきと変化を促すエネルギーワーク ~Clearness Work~

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先日、別ブログで書いた【人間関係の距離感についての記事】の続きをこちらに書きます。

というのもちょっと誤解があったような意見をいただきましたので。

 

該当記事はコチラを見てくださいね

 

記事内で魔法の言葉としてご提示したのは、お相手と争わずに会話を終結させるような

趣旨の内容でした。


【マウンティングさんや同調圧力がある状況】or【話題にしても建設的な議論にならない場合】に

使う感じの言葉でもあり、本来、そういった言葉は私も使いたくはありません。


そこには、愛がないから。

 

お相手の中に合う部分があればその部分で親しくできる方もいらっしゃいますし、

そもそも自分と同じ考えの方なんていませんから意見等が違う方が当然です。

 

なのですがー。

 

それでもやっぱりどうしてもあわない方がいらした時に心の中で【ごめんなさい】と思いつつ

使うような感じです。

 

喜んでいただくようなやりとりもできますよね。

マウンティングさんのように、あなたの方が下、ほめてほしい、認めてほしい、というのが全開の方は

それにお応えすれば、逆にいい関係になれる可能性が高いから。

 

そこまでしていい関係になりたい?

私はなりたくないです。


心にもない誉め言葉だとか、自分と明らかにあわない意見に賛同する方が失礼だと思うので。

 

そんなわけで、先の記事の言葉は、

お相手の自尊心を傷つけることもなく、自分が不快な思いをすることもない処方でしかありません。

 

そこにエネルギーを注ぎ込みたくないから、ちょっとした自己防衛です。

 

魔法の言葉としてご紹介するのであれば、こちらの方が適切でしたね。

 

この言葉を知るまでは執着だとか、自他との区別がつかない部分があったのですが、

私の基本的なスタンスや、人間関係における距離感についてはこの考え方に近いです。


 

私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。


ゲシュタルトの祈り より

 

そう。

何度か書いていますが、

 

自分は自分

他者は他者。

 

ここをきっちり区別していってくださいね。