・・・高野山金剛峰寺へ音譜
 

 

前日までに京都の世界遺産寺院全ての御朱印を拝受しましたが・・・何だか欲が出てきました。
そこで京都から比較的近い高野山界隈へ足を延ばしてみる事にあせる

 

 








 

 

 

高野山金剛峰寺は高野山真言宗の総本山で、言わずと知れた宗祖の空海(弘法大師)が開創しました。

真言宗のご本尊様は大日如来ですが、何と!ボクの守り本尊なんです。
・・・まあ、申歳&未歳全ての人の守り本尊ですがあせる

そんなご縁?もあって、高野山金剛峰寺を参拝しました。





 


 

 

実はボク、金剛峰寺含め高野山には何度も足を運んでいます。
故に今回は御朱印拝受を大きな目的とし、拝観は壇上伽藍界隈に留めて奥之院へは足を運びませんでした。

そしてこの日は、午後から神戸で知人と会う約束をしていたので、お昼前に高野山金剛峰寺を後にしました。



















 

 

 

翌日はホテルをチェックアウトし、再び公共交通機関を利用し和歌山県へ。
自宅に帰る前に世界遺産寺院をもう一か所参拝したく、九度山駅で下車。

・・・さすが九度山、完全に真田推しですねグッド!

そして九度山駅からタクシーを呼んで目的地へ向かいます。
駅にタクシー会社への直通電話機が設置されていますので、呼び寄せはスムーズです。





 


 

 

 

九度山駅から7~8分で目的地の慈尊院に到着。
 

 

慈尊院は、高野山開創に際して空海が高野山参詣の要所にあたるこの地に表玄関として伽藍を創建し、高野山の庶務を司る政所(寺務所)とした事が始まりです。
そして空海の母に大きく関係し、歴史はかなり古い寺院となります。詳細は以下(Wikipedia)ご参照。

高齢となった空海の母・阿刀氏(伝承では玉依御前)は、讃岐国多度郡(現・香川県善通寺市)から息子の空海が開いた高野山を一目見ようとやって来たが、当時高野山内は7里四方が女人禁制となっていたため、麓にあるこの政所に滞在し、本尊の弥勒仏を篤く信仰していた。
空海はひと月に9度(正確に9度というわけではなく、それだけ頻繁にということの例えだといわれている)は必ず20数kmに及ぶ山道(高野山町石道)を下って政所にいる母を訪ねてきたので、この辺りに「九度山」という地名が付けられた。
空海の母は承和2年(835年)2月5日に死去したが、そのとき空海は弥勒仏の霊夢を見たので、廟堂を建立し自作の弥勒仏像と母公の霊を祀ったという。


 

 

 

 

さてそんな慈尊院のご利益は、子授け、安産、授乳、縁結びとなり、奉納するおっぱい絵馬は全国的にも珍しいと言われています。
近年では、乳癌患者の方も多く訪れていて、乳癌のお守りも人気を呼んでいます。

ボクの母も乳癌を患った事があるので、再発防止を祈願してお守りを購入しますた音譜










 


 

空海の金剛峯寺、そしてお母さんの慈尊院の御朱印が見開きとなっていますアップ



・・・斑鳩編に続く。