いじめられる側にも相応の理由があるかって?
前回の投稿から10日も経ってしまった。年末年始で酷い醜態を晒していたYの現状は分かりませんが、前回予定して流れてしまったすき焼きのリベンジをしようとメッセージが入ったので、19日の夜に様子見がてら行ってこようと思います。さて、今日は頭の中の整理にこの日記を使わせていただこうかな。いじめについて。私もいじめられてました。そりゃあー酷いものでした。自分で自分を守る術を見つけ、幸せを感じながら生きている今、振り返ればその暗い時期が無ければ今の私ではないと断言できます。いじめという行為そのものにではなく、私の肥やしとなって今や私の根幹とも言える盤石な基盤、それを作る経験をくれたご縁には感謝しています。いじめは人付き合いとして間違っているし、正さないといけないことなので、そこは履き違えてはいけない。で、表題の件なのですが。よく言われている言葉だと思います。いじめられている側からしたら腸煮えくりかえるよね。分かるよ。これ色々なことをごちゃまぜにしてしまっているからややこしく見えるだけで、本来はとてもシンプルな回答に尽きると思います。「それはそれ。これはこれ」 以上。人間、こうして生きてくると老若男女、様々な人と知り合い、良い意味でも悪い意味でも驚かされることがある。『この人、この年齢まで生きていて何を学んできたんだ?』という人は星の数ほどいます。私も他人から見たら上記の感想持たれる部分があるかもしれないので、お互いさまや。つまり、人間は死ぬまで未熟な部分が必ずあるということ。それの度合いが酷ければ他人から注意/指摘を受けるし、それほどでもなければ静観されていると思う。指摘/注意を受ける時、それはその人自身が今いる現状、環境から逸脱しているというメッセージだと思います。食べ方が汚い腋臭さんなのか、なんか臭う他人との会話で上から目線話し方が独特過ぎて論点が頭に入って来ない仕事や作業が非効率すぎてone for all, all for one の関係者に二次災害くしゃみや咳がステレオ大音量でめっちゃ迷惑仕事中なのにどうでもいい会話で盛り上がるお局三大巨頭あなた、ここで人生の時間を使う選択しているんですよね?このままだとこの環境に分不相応なので、改めてもらわないといさせてあげられないですよ。周りの人もあなたの選んでいるこの環境の一部です。みんなが気持ちよく時間を過ごせるよう、あなたのここをこうしてくださいね。これが注意です。まぁ、腋臭を始めとする身体的な不快感についてはセンシティブな話題なので、それなりの言葉尽くしと寄り添いが必要になりますが、どう言葉を選んでも傷つけちゃうことにはなると思うのでアフターフォローとか織り交ぜながら上手く調和を図っていくのが「できた人間」と言われる方々だと思っております。さてでは上記のスキルや知恵のない人間がこれらに直面したらどうなるのか。感情的に言い放ち、終わりです。キモイクサイこっちくんなあの人無理だわーなどなど、人生何週目?と思ってしまう最近の幼稚園生でも気遣いを発揮するだろう部分でも、相手の事情も考慮の余地なく呟くはずです。ある意味、気づきのきっかけになる場合もあるので、その場合は傷心を癒しながら改善していこう。ただ、限度問題がある。これを呟いたのが解決思考能力を持たない、ただ声が大きいだけのおバカだった場合、大衆も大概おバカですので扇動になります。大衆もそれが原因でストレスを溜めている場合は、更にコロッといっちゃいます。これを言ってきたのが全くの赤の他人で、電車や街中ですれ違いざまにぶつけられた非難ならまだマシで、学校や職場、家庭などの自分が多く時間を過ごすことになる環境で発生したら地獄です。注意や指摘で済むことを、わざわざ全員を道連れにして犯罪化するわけです。ダメヒューマン。本当に解決したいのなら、原因を取り除かなければいけないはずで、それは暴言や暴力でどうにかなることではない。不快な事象を起こしている人に「バカ」だの「〇ね」だの拳でボコボコにしたところで、腋臭やクチャラーや非効率な仕事のやり方が治りますか?ちゃんと「現状はこういう状態」「ここが問題」「ここに困っている」「こういうゴールにしたい」「一緒に頑張ろう」をしないと、何の解決にもならないのでは。相手を必要以上に傷つけて言い聞かせる必要など、どこにもありません。寧ろ、思い遣りと冷静さと忍耐と論理性を持って相対する必要があります。で、冒頭の「それはそれ。これはこれ」に繋がると思います。先述の通り、人間は死ぬまで未熟な部分を抱えている生き物だと思う。いじめをしてしまう犯罪者には「どんな理由があるにせよ、そのコミュニケーション方法は間違っている」と伝えて矯正する必要があります。被害者には「いじめられる必要はどこにもない」旨をしっかりと理解いただき、これからを生きていく人間として未熟な部分があれば、それを普通に注意すればいい。未熟な部分が常識的に特に気にならない程度なら、笑って見守っていてあげればいいと思います。※この「常識的」というのも漠然としていて、便利なんだが本意が伝えにくいな仮に被害者に10人中が10人「この人のこれがストレス」と言われる何かがあったとする。社会経験、人生経験を経てきた先人から見ても「こりゃこの子が1人で今後生きていく時に足かせになってしまうぞ」という判断があるのであれば、それは今正しておきたいところ。「それはそれ」。ただし、それを犯罪の言い訳に「あの子があぁだからー」とかは受け付けられない。君は適切な解決法を模索しないまま他人を傷つけた。「これはこれ」。今直さないと後々君自身が君の首を絞めながら生きていくことになってしまう。加害者、被害者、傍観者の諸君「ごめんなさい」だけでは済まされないことは世の中にたくさんある。故意でも無意識でも、やったことに対して金銭的賠償、社会的信用失墜が発生する事例なんてごまんとある。そして自己成長を怠り孤独な老人となって、やっかまれ、疎まれ、寂しく最期を迎える人もたくさんいる。適切な身の振り方と、現状を正しく分析し、解決方法を考えられる強い思考力を養っていってほしい。気に入らないことなんか、これから生きていく上で嫌というほど出てくるよ。それでも君の未来は輝かしいものだ。私はそう信じてる。何も考えず、感情に流されるままに惰性を生きて、見えない負債を積み上げて老いていく姿は見たくない。私が幼少期の頃は、こんなに充実したSNSの時代ではなかったから、よく被害者が泣き寝入りになることが多かった。でも、時代は変わって、みんなで問題を共有して、考え、協力できる手段が増えたように思う。私はこの時代に生まれてこれて幸せだと思っている。色んな声があると思う。心強い声も、心が壊れるような声も、色々とね。あなたにとって本当の意味で力になる声を吸収していってほしい。耳障りのいい言葉に心地よさを感じて、浸りたいならそれでもよろしい。刹那の傷のなめ合いをいつまでも続けていればいい。君の人生だ。誰も止めないよ。ただ、そこから自分の脚で立って、自分の人生を自分の足で歩いていく覚悟があれば、ぜひ前を向いて、人や社会から求められる人間になってほしい。私もおバカな大衆の1人なので、現状に甘んじることなく、自己研鑽に努めていきたいと思います。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【今日のレオパちゃん】可愛い可愛い箱入り娘のレオパちゃんですが、今日も今日とて可愛いです。まったくこの子は・・世界一やな!!先日書いた日記でコオロギを買って、ピンセットで格闘して散々だった話をしたのですが今回はポリ手袋で捕獲してみました。当初「無理や・・」と思っていましたが、意外に案ずるより産むが易しでした。コオロギさん達に感謝をしつつ、作業的に取ってケージの中にポイしてました。やっぱりピンセットで立ち向かったの、間違いだったな。ごめんよ、コオロギさん。というわけで、レオパちゃんは元気です。私も元気です。ごきげんよう ノシ