お互い忙しい日が続く中、少しずつすれ違いがではじめた。遠距離が始まって1ヶ月経つか経たないかという、かなり初期でのいざこざだった。


しかし、私のキャパシティのなさと、当時の遠距離恋愛適性のなさ(?)のせいで、悪化が防げなかった。


アメリカの大学生活は勉強中心。そんな中、日本にいる彼は、勉強と部活とバイトをうまく回して行く生活。

その要領の良さに、私は少し嫉妬をしていたのかもしれない。

部活するなら勉強してほしい。彼のスタイルや文化の差を無視して、そう思うようになってしまった。

また、私は、好きだったはずの彼のツンデレに、少し疲れてきてしまった。


少しけだるそうに日々を送る、そんな彼が、私は高校生の時には好きだった。でも、アメリカで生活する中で、明るく楽しく生きている友達や先輩を見て、そういう生き方に私は惹かれた。


「テストしんどいわ」「多いわ」

そんな風な言葉が並ぶラインに私は疲れてきた。

挙句には、車で危険目な運転をした、とか、その他諸々、アウトロー気味なことを自慢げに報告してくる彼に対し、違和感を覚えるようになってきた。


自分の体を大事にしてほしい。危険なことはしないでほしい。危険なことをかっこいいと思わないでほしい。


そんな思いが伝わらないことに私はイライラした。

そして、私の目移りが始まった。

アメリカに戻った私と京都にいるTとは、本格的な遠距離恋愛をすることとなった。



次に会えるのは6月の初め。

それまで、彼が中高時代に書いてくれた手紙と、毎日のラインとでしのぐことになった。


彼は、改めて、とても素敵な彼氏だった。


私が東アジア関係論の論文に困りまくっていたときは的確にアドバイスをくれた。


奨学金を得るためのプレゼンテーションの原稿は細かく添削してくれた。


体重は48キロを超えるなとキツめのことを言う反面、私がストレスや勉強で食べられない時もちゃんと食え、ということで、共有のツイッターアカウントまで作って食事を管理してくれた(この話は大体みんな引く。)。


それくらい大事にしてくれていた。


ただ、彼は医学生なので、やはり勉強は大変で、ラインの内容に、「お互い忙しくて大変」感が出てくるようになってきた。

しかし、学風と文化の違いにより、一日中勉強しかしない私は、勉強と部活とバイトでなにかと忙しい彼に対し、なんか違うなぁ、と感じることが多くなってしまった。


私のなかで、うーん、、、と思う機会も増えたものの、私たちはそれなりに仲良く遠距離恋愛をしていた。早押しクイズやオセロのアプリを二人でダウンロードして遊んで、距離は離れていても、二人で遊べる時間を楽しんでいた。早押しクイズはほとんど勝てなかったが、オセロは私は驚異的な成長により、互角に戦えるようになってきていた。 


しかし、歯車は少しずつ狂いはじめる。


葬儀のあと、私はすぐにアメリカに戻る予定でいたが、さすがに精神的にきつかったので、2日ほど余分に日本で過ごすことにした。


そして、2ヶ月ほど遠距離恋愛になってしまうので、会えるうちに会っておこうということで、2日連続で会うことにした。



集合場所は四条河原町。

私にとっては慣れない待ち合わせ場所だった。


少し早めに到着し、近くの百貨店のトイレに駆け込んで風でぐちゃぐちゃになった髪を治しているうちに約束の時間を過ぎてしまった。ばたばたしながら早歩きで彼の元へ向かっていると、途中で会うことができたので迷子という悲しい未来は避けられた。


道端で、何もないところに空気椅子のような形で座っている大道芸人さんがいて、私が感心していると、彼は鼻で笑いながら仕掛けを探し始めた。何でこういうのを純粋に楽しめないんだろうこの人は、と正直思ってしまったが、昔と変わらない彼がそこにいて安心する自分もいた。


四条河原町から、桜が綺麗な鴨川沿いを私たちは歩いた。花粉症の季節だったのでお互い鼻がムズムズしていたのを覚えている。

私は背が低いので(彼も低めなのだが)、歩くのがやや遅かった。彼は私の手を引っ張るように、リードして歩いてくれた。3月だというのに私は緊張と代謝の良さ(?)で手汗がすごかった記憶がある。


そのまま鴨川沿いを歩いて京都駅に着いた。かなりの距離ではあるが、彼とは高校時代にも京都駅まで歩いた気がする(気がするだけかもしれない)。


私たちデートの定番であり、もはや知り尽くしている京都駅で、私たちは行ったことのなかった場所に行ってみた。

電車の路線が入り組んだ様子が見えるスペースは人が少なく、心地よい雰囲気だった。



そこで彼は、かなり思い切った一言を発してくれたのである。


大学一年生 16へ続く