6月末。

私は、京都大学に通っている高校時代の友達に会いに行った。

Tも京大生ではある、Tとは、当時一応付き合ってはいたものの、あとはもう別れるだけ、という状況であり、それを告げるのも精神的に苦しかったので、京大に行くことは隠していた。

私は友達と再会を果たし、高校の後輩も交えて3人で食堂に入った。

一応、友達は、私とTのゴタゴタを把握していて、相談にも乗ってくれていた。

「Tと会う可能性が高い食堂と低い食堂、どっちがいい?」

そう聞かれた私は、もし万が一、なんの示し合わせもなくTと会えたらそれはそれで運命だろうな、と考え、可能性が高い食堂を選ぶことにした。

「ルネ」というその食堂は、パフェが名物で、玄米茶も美味しかった。


私たちが食堂でワイワイ喋っていると、

なんと、Tが横を見事に通り過ぎた。

おいおいおいおい。
まさか本当に出会うとは。

私は焦りすぎて爆笑してしまっていたが、私の後方の席に一人で座ったTの、さっきまでは付いていなかったシャツの汗のあとをみると、彼もかなり動揺しているようだった。


友達は、私に、せっかくの機会なので話し合って来るように勧めてくれた。しかし私は乗り気ではない。

しかし友達はしっかりTと交渉して、話し合いの場に持って行ってくれた。


さて。
別れるか別れないかの結論はきちんと出るのか。
私たちの運命やいかに。

次回へ続く

5月末、私は、アメリカの大学での一年目を終えた。だが、すぐには日本に帰国せず、大学の一大イベント、大同窓会で演奏するために、バンドのメンバーたちとひたすら練習して時間を潰す、という一週間を過ごしていた。

私の、Tへの気持ちは完全に冷めていた。
別れたい。でも、別れるのは直接会ってからにしたい。
相反する想いがあり、私はTに連絡を取りたくなかった。
ちょうどスマホが壊れたので、それを理由に返信を滞らせていたが、iPadで連絡を取ることもできた。だが、私はそちらの返信も滞らせていた。


当時、例のほせさんは大学四年生。あと一週間で卒業、というタイミングだった。

バンド仲間の助言もあり、私は一旦Tのことを忘れ、卒業するほせさんに手紙を書くことにした。ラブレターとファンレターが混在するような手紙。好きだけど、何の見返りも求めない、ただ好きだと伝えたい、というような手紙を書いた。

ほせさん卒業の3日前、私はほせさんに手紙を渡した。歌詞になってしまうほど最高の手紙であった。

ほせさん卒業の2日前、最後のパーティがあり、私は彼の前で号泣してしまった。するとほせさんはハグ(もちろんアメリカ式、いわゆる、色んな人にするハグ)をしてくれて、とりあえずそんなに泣きすぎないでほしいと慰めてくれた。

ほせさん卒業の前日、なんと彼は手紙を書いてくれた。「卒業をそんなに悲しまないで、あなたには後3年、大学生活があります。その中で、いっぱいいい人たちと出会って、楽しい日々を過ごしてね」

私の、ほせさんへの気持ちは、この手紙のおかげでスッキリと整理された。ファンだという想いが伝わったことで、満足した形だ。

ただ、私はまだ、Tと向き合うことからは逃げていた。1ヶ月近く、音信不通の状態にしてしまっていた。


ほせさん。


私が所属するバンドのドラマーは、ほせさん、という人だった。


ある国の元リーダーの息子というすごい身分の方。


私はほせさんのことが好きだった。


好きとは言っても、付き合いたい、とかそういうのではない。GACKTや木村拓哉さんのような存在、つまり、憧れ、だった。


ほせさんは楽しそうに人生を送っていた。

笑顔を絶やさず、底抜けに優しい。

ツンデレでもなんでもなく、とにかく優しい。


当時、私の眼に映っていた、ツンツンした感じのTとは大違いだった。Tはもちろん、とても優しかった。でも、尖っていた。

すれ違いが増え、私は、Tが、ほせさんのような恋人ならいいのに、と思うようになった。


今考えてみれば、相当自分勝手な話だ。

Tは、おそらく、私が、「ツンデレが好き!」などと言うから、無理やり尖ったり、ツンデレの要素を取り入れたりしてくれていたのだと思う。しかし、私がTをそのような性格にしたのにもかかわらず、しばらく経って「やっぱりツンデレは嫌」と切り捨てたのはあまりにも身勝手すぎる。


だが、私は、当時のTのように少し斜に構えたような心で学校生活を送っている人よりも、明るく楽しく生活しているほせさんに惹かれるようになり、次第に、Tへの気持ちが薄らいでいった。一言で言うと、好きなタイプが変わった、のである。


そして、ここにきてTのアウトロー気味な行動も重なり、私はTのことが本当に好きなのかわからなくなった。


ラインの返信をする気にならない日もあり、私たちは少しずつ、ギクシャクしていった。