遠距離恋愛が再び始まった。

私はプリンストンに戻って勉強に励んでいた。


苦手な授業があり、それに時間を取られてTと連絡を取る時間がなかなかなさそうだったのだが、彼は「飯は食え」「心に余裕を持て」など色々アドバイスをくれて、勉強もうまく軌道に乗っていった。


また、ビジネスコンテストに一緒に出ることになっていたので、その打ち合わせという名目でテレビ電話もできた。


電話する時間を取るのは、時差の関係で難しいときもあるのだが、できるときには電話をした。2人とも無言で勉強しながら時々画面を見て、一緒に勉強している気分も味わえた。


遠距離になったら浮気とか、気持ちが冷めるとかの心配があるかなと思ったのだが、全然大丈夫のようだった。私は、壁にTとのツーショットを貼り、楽しく勉強しながら毎日を過ごしていた。

私がアメリカに帰る前日、私たちは自宅でデートをした。


私は、遠距離を楽しく過ごせるように、と、Tのために、アルバムを作っていた。


平成最後の夏!


と銘打って、一緒に過ごした夏の写真を数枚入れ、


「喧嘩した時に読んでね」

「さみしくなったら読んでね」


というような手紙も30枚ほど入れた。


彼は、アルバムを見るなり感極まっていたようで、泣きそうだったらしい。


彼も、前日の夜に手紙を書いてきてくれていた。

書きながら泣いてしまったらしい。

平成最後の最高の夏が終わってしまうのが悲しすぎる旨を書き連ねてくれていた。

でも、悲しいことを書いたら私が泣いてしまうので、明るいことを書こうと努め、私のどんなことが好きか、とか、そういうふうな惚気を書いてくれていた。


また、左から二行目を上から読むと、縦読みになっているというサプライズがあった。私があまりにも気づかなかったので、彼がしびれを切らして教えてくれた。


「今夜この 月が教へる 君のさま かく明るきは 良きたよりなれ」


まさかの、短歌になっていた。

ただ、古語が混じっていたため、意味がすぐにはいまいちしっくり来ず、作者のTに自ら解説させてしまった。


「遠距離中も、月はあなたの様子を教えてくれる。

このように月が明るいのは、あなたが元気だという便りであってくれ。」


という素晴らしい句であった。


それを読んで私はぼろぼろ泣きながら、彼と一緒にショッピングモールでうどんを食べ、遠距離前の幸せなひと時を過ごした。


真夏の暑い日、私たちはバスケデートをすることにした。


彼は、大学のバスケ部で体育館係をしていたので、自由に市内の体育館が予約でき、使うことができた。


体育館に着き、着替えたら、コート半面を二人で使う、贅沢なデートの始まりだ。もう片面では元気な若者やおばちゃん達がバトミントンをしていた。卓球だったかもしれない。まぁともかく、二人きりの時間ではなかったのだが、私たちは念願のバスケデートをすることができた。


フリースロー対決をしたり、一対一の対決をしたり。運動不足な上に、もともとバスケが全然できない身としては勝負にすらならなかったが、適度なハンデのおかげで楽しく戦った。彼と2人でバスケをするのは中学二年生の塾の合宿以来だったので、懐かしいような気分になった。「体がこっちに向いていても足がこっちに向いていたらこう進むからこっちの進路を塞ぐ」とか「相手の重心をずれさせる(?)」など、Tを倒すためのレクチャーを彼自身から色々受けたが、結局、「まぁ、100年早いわ」と言われ、何やねんという気持ちになった。


とにかく、スポーツでデートをするのは憧れだったので、とても嬉しかった。


お昼ご飯は、小さなレストランで、私は豆腐コロッケの定食を食べた。彼は猫舌なので、ふぅふぅしながら食べていてとても可愛かった。


午後は、南禅寺の水路閣へお出かけした。天気がとてもよく、写真はことごとく逆光ぽくなった。


水路閣を抜けて山道に入ると、人気がとても少なく、絶好のキスができるスポットだった。山道の奥へ奥へと入っていくと、帰れるかどうかわからないほど深い森になってきて不安にもなったが、手を繋いで歩いて、時々止まってイチャイチャするのはとても楽しかった。


また、私が知らない、彼の小さい時の話を聞かせてくれた。幼稚園の時に、展開図を自ら書いてランドセルの模型を作った話にはかなり引いた。でと、やっぱり小さい時から頭が良かったんだなぁと感動した。