ご訪問ありがとうございますピンク薔薇

 

石橋伊久子です。

 

 

 

 

前回の記事で

上っ面バージョンのプロフィールを書きました。

 

私のプロフィール(上っ面バージョン)

 

 

 

上っ面といっても

私としては一生懸命やってきましたよ。

 

 

ただ、グダグダなメンタルだったので

何をやってもイマイチでしたけど。

 

 

 

 

 

私の両親は

今で言うところの毒親でした。

 

 

 

自分たちの理想の子供像から

少しでも外れた言動をすると

激しくののしられました。

 

暴力こそふるわれませんでしたが

人格を否定するような

言葉の暴力は日常茶飯事でした。

 

私の個性や希望など認めてくれるわけもなく。

 

 

 

物心ついた時からそんなでしたから

ひたすら

自分が悪いのだと思ってしまいます。

 

 

 

 

 

母はとてもキツい性格でしたが

父は気の弱い人でした。

 

なので、

自分より弱い存在である子供に

八つ当たりするのです。

 

両親して私を責めるのですが

夫婦としては母が強い支配関係にあり、

しょっちゅう喧嘩をしては

父が言い負かされていました。

 

 

子供としては

両親の喧嘩は

恐怖と不安でしかありませんでしたけどね。

 

 

 

 

そして、もう一つ

私の自己肯定感を低くしていたのは

2つ下の弟の存在です。

 

母は弟を溺愛していました。

 

父は強い男尊女卑思想を持っていたので

男の子というだけで

弟だけを大切にするのです。

 

 

 

私なんて

いない方がいいんだ

 

 

そう思うのが当然の

生育環境でした。

 

 

 

 

 

思春期の頃には

自殺未遂はかりましたが

 

 

死に切れませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校生で

進路を決める時

 

 

 

「女が大学に行ってなんになる!!

 女はバカな方が可愛いんだ!!」

 

 

 

大学に行って学びたいことはあったけど

父のそういう考え方で

大学進学はあきらめました。

 

 

 

「家を出ればよかったじゃない!」

 

「自分で働いて

 大学に行けばよかったじゃない!」

 

 

後になって

人からよくそう言われます。

 

 

 

でもその時は

そんな考えは浮かびませんでした。

 

 

 

その家庭環境から逃れるのは

死んでこの世からいなくなることしか

思い浮かびませんでした。

 

 

 

自分で自分の人生を切り開く

という発想が全然なかったんですね。

 

 

 

仕方ないんです。

 

思考力を奪われていたのですから。

 

洗脳状態だったとも言えます。

 

 

 

 

 

母の助言(っていうか命令)で

専門学校に進学しましたが

もちろん、

私のやりたい分野ではありませんでした。

 

 

学校を出て

 

就職して

 

結婚して

 

子供を産んで育てる

 

 

なんの疑いも持たずに

それが女の人生だと思い込んでいました。

 

 

 

 

そこで、ハタと気が

ついたのです!

 

 

結婚すれば家から出られる!と

 

 

 

 

 

 

 

社会に出て1年もたっていなかったけど

21歳で8歳年上の夫と結婚しました。

 

 

 

 

この夫も親と同じように

人をほめることを知らない人で

私の至らないところばかりを

非難するような人でした。

 

(自然とそういう人を選んでいたんですね)

 

 

 

でも、それよりも

親から離れられたことが

とても嬉しかったのです。

 

目の前が明るくなった気分でした。

 

 

 

 

 

この世代の男性は

みんなそうでしたが、

夫も

仕事に明け暮れていた企業戦士で

家庭を顧みませんでした。

 

子供の世話も教育も

私にまかせっきりでした。

 

 

 

でも、夫は

父と違ってギャンブルをしないので

経済的な不安がありませんでした。

 

 

精神的に不安定ではあったけど

まあ、安泰に暮らしていました。

 

 

 

 

でも、この後

私の人生最大、最長の

地獄が待っていました。

 

 

 

 

弟が急死したのです。

 

 

 

 

 

 

 

長くなるので

続きはまた次回。