こんにちは。和久田ミカです。
今日のテーマは、知識の使いかたについて。
以前、テレビ番組で カズレーザーさんが言ったこと。
「女子力がなくてモテない」
という悩みに、愚問と一蹴。
「料理ができる女子は、女子力高いじゃなくて、“料理が出来る子”ってちゃんとカテゴライズされるの。」
すべて「女子力が高い」という言葉で、ひとくくりにすることへの違和感を話しました。
「『女子力が高い』ってカテゴライズされる女性なんていない。
嘘の概念。
そんなこと気にする必要ないの」
とも。
私は、この考え方好きだなーと 思います。
いちいち、自分がうまく行かない要因を
「わたし、○○だから」
と エクスキューズする必要はない。
たとえば「HSP(ひといちばい敏感な人)だから~」とかね。
誤解のないように書いておくと、それらの概念が 悪いわけではないです。
その使い方に 違和感を覚える人がいる、というだけ。
たとえば、HSPの概念が 一般に知られるようになって、「敏感な人」が やたら増えました。
「ひといちばい敏感」と カテゴライズされることで、それが 自分へのゆるしにもつながったのでしょう。
「びんかんな私でいい」「私は私でいい」という『ゆるし』。
ただ、レッテル貼りも行き過ぎると、
「ここもびんかん」
「ここも気になる」
と、敏感コレクターになる人が出てくる。
同時に
「こんな私でも受け入れなさいよ。
私は敏感なんですから!」
と いう「まわりからのゆるし」を 強制する人もいる。
「私たちって、敏感なのよね。みんな、わかってくれないけど」
と やたらとHSP同士で 連帯感や所属感を持ちたがる人もいる。
それね、そもそもまわりの人が「ゆるす」「ゆるさない」話ではないよね。
”まわりに許可を取らないと安心できない”
”ちがう意見を言われると、否定されたように感じる”
というところが 根っこじゃないかな。
カテゴライズやレッテルは、自分へのゆるしに 使った方がいい。
相手があなたの特性を 許容するか、理解するかどうかは、相手の問題。
また、選民意識が出てくる人もいるね。
「HSPだからこその能力」
「特別な才能が備わっている」
まあ、そういう人もいるだろうけど、そうじゃない人もいるだろうなあ。
カテゴライズに優越感を持ち出す必要はないよね。
優越感は劣等感の裏返しだから、コインの裏表だし。
んなもんで、
「私、HSPなんですよ」
と自己紹介されると、
「お前は誰だ」
と言いたくなる。
私はキミと向き合いたいのであって、HSPと向き合いたいわけじゃないんだ。
実は私も、HSPのテストをやると、高得点になります。
感覚が鋭敏なタイプです。
特定の音が 体に刺さるように聞こえたり、
音が混じりあうゲームセンターは 吐き気。
ある種の音楽は 聞いていると「ぎゃー」と叫びたくなるほど不快。
レストランや美容室などで 音量を下げてもらうことも、たびたび。
でも、「私はHSPです」とくくる必要はないよね。
カズレーザー風に言うなら、
「感覚がびんかんな私は、HSPじゃなくて、“聴覚がびんかん”ってだけなの」
さらに、
びんかん=弱い
びんかん=すごい才能
びんかん=生きづらい
とか、意訳する必要もない。
不便だけど、不幸ではない。
不便だけど、弱くはない。
音に敏感だから、社会生活をする上で どう折り合いをつけ、まわりに何を要望するか、
淡々と考えればいい。
んで、一応 しつこく書いておくけど、知識が悪いわけじゃない。
それを どう解釈し、使うのかは、自分で選ばないとね、という話。
私も、はじめてHSPの概念を聞いた時は 心が震えたし、ゆるされた気がしたのは確か。
癒しとゆるしを十分に得たら、あとは 他人を理解するために使おう。
劣等感や優越感、連帯感や所属意識を ムダにくっつけないように。
「かわいそうな私」は いらない。
こちらの講座も、知識ではなく、自分や他人との関わり方のヒントが満載の講座です。
カテゴライズすることが目的ではないので、おもしろいの。

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