こんにちは、和久田ミカです。
昨日、不登校について書きました。
私たちは、何かを失った瞬間に 「何が大切なのか」がわかります。
私の場合は、娘の体の不調を通して、子どもが健康でいることが当たり前ではないことに気づきました。
学校に行かなくなって、「行ってきます」という声が聞こえるのは ありがたいことだとわかりました。
「青い鳥」の話にもあるように、幸せは、遠いところではなく、すぐそこにあるもの。
よく見ようとせず見逃していた、「当たり前」の中に、幸せが転がっています。
よく言われることですが、幸せは「なる」ものではないんですね。
気が付くもの。拾い上げるもの。
「幸せがあること」を前提に探そうとすれば 見つかりますが、ないと思えば見つからない。
ひじょーに、主観的なものです。
人気も名誉も手にしていた人が突然命を絶ったり、お金がたんまりある人が「もっと、もっと!」とお金を求めていたり。
幸せの基準は、ひとそれぞれなんですよね。
「ない」
と思う人は、自分の話を聞いてみましょうか。
「幸せがあると思おうとすると、みじめな気持ちになる。
だって、こんなささいなことしか 拾い上げられないのだもの。」
「こんなの幸せだと思えない!
私の期待どおりの幸せでなければ、幸せとは呼びたくない」
そういうときもありますよね。
そういうときは、まず自分の愚痴を 自分で聞いてあげてね。
「だよね、こんなちっぽけなことを 幸せだと思いたくないよね。
うんうん。愛してるよ」
って、自分をなでなでしてあげる。
立ち止まって 足元を見たり、ゆっくり周りを見渡す時間も、十分に意味があることです。
私は子どもの頃、キリスト教会に通っていたので、寝る前に お祈りする習慣がありました。
「ご飯が食べられたこと、ありがとうございます。
元気で過ごせたこと、ありがとうございます。
学校はちょっとつまんなかったけど、〇〇ちゃんと遊べてありがとうございます。
今日も生きていること、ありがとうございます」
お祈りって、基本的には 感謝をする場なんです(と個人的には思います)。
小さなことを「ありがとうございます」と拾い上げていく習慣があったことは、当時の私を支えていたように思います。
むりやり「よかった探し」をしているわけではないんです。
私の生死観は子どものころから「生かされている」。
だから、まわりには感謝がたくさん落ちていたのかもしれません。
子どもが生まれて忙しくなって、寝る前のお祈りの時間が無くなってしまったのだけど、最近また、復活させました。
いい感じです。
いっしょにやってみませんか?
幸せのハードルを低くして、まわりを見てみましょう。
1日30秒の「幸せを拾い上げる時間」。
よろしかったら、コメント欄から3つ「今日の幸せ」を教えてください。
書くことで視覚化されて、より幸せ感が増します。
明日から、オンラインサロンの募集が始まります。
そちらも、みんながさらにハッピーになる時間を設けていきますので、ぜひ!
















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