こんにちは。和久田ミカです。
今日は、クライアントさまのAさんのお話から はじめたいと思います。
Aさんのお子さんがお友達に、
「何を考えてるのかわからない」
と言われ、落ち込んでいたそうです。
そこでAさんは、
「人は見たいように見て、聞きたいように聞く」
というお話をされたのだそう。
ひとによって見方、感じ方はちがう、という意味ですね。
お子さんは、そのときは 腑に落ちなかったそうですが、あるとき ちがう人から、
「裏表がないから、信頼できる」
と言われて、お母さんの言葉の意味が腑に落ちます。
なるほど、人は見たいように 私を見るんだ…
「何を考えているのかわからない」
という人もいれば
「裏表がない」
と言ってくれる人もいる。
人がどう思うかなんて、コントロールできない。
コントロールできないものに 執着すると、つかれちゃう。
人の評価に一喜一憂する必要はない。
そんなふうに、気持ちが整理できたそうです。
Aさんのまいておいた、言葉の種が芽を出しました。よかったね
人が自分をどう思っているのは だれでも気になります。
「気になっても」いいけど、それに「振り回される」とつらいよね(*^_^*)
そんなときは、お母さんの言っていた
「人は見たいように見て、聞きたいように聞く」
という言葉が、目線を変えてくれるね~!って うれしくなりました。
で、こういうふうに ちがう角度で物事を見てみることを「リフレーミング」と言います。
東京タワーを例にとってみます。
隣の建物の窓(フレーム)から見た人は、三角だというでしょう。
ヘリコプターの窓(フレーム)から見た人は、四角だというかもしれません。
見るフレームを変えることによって 見え方がちがいます。
どちらも まちがってはいない。どちらが 正しいわけでもない。
見る方向によって、形がちがって見えるというだけのことです。
物事もそう。
どこから見るか、誰から見るか、何を基準にしてみるか、
角度によって、とらえ方が変わってきます。
で。
私はこの「リフレーミング」」という考え方が好きなのですが、この概念を、
「肯定的な見方に変化させましょう」
というふうな意味合いで使う場合があります。
私は、あんまりそれが好きではありません。
たとえば、
おとなしくて、内気な子→ 繊細で気遣いができる子
みたいに、その子の「よい面」に 目を向けましょう、という考え方です。
それで 救われる人もいるので、この方法が 悪いというわけではないのですが、
子どものよい面(子どもの適切な行動)
子どもの悪い面(子どもの不適切な行動)
という 二分化した見方をすることに 違和感があるのです。
結局、「大人の都合のよい子であってほしい」のだなあ~と感じてしまう。
それよりもまず、
「それを問題だと感じているわたし」
に目を向けてほしいなあ。
そもそも、なんで子どもが「おとなしい」ことが 問題だと思うのかな?
そんなふうに。
なんも問題は起きてないのに、なんでそんなに 心が反応するんだろうね?
もちろんね、
肯定的な側面を見つけて 子どもの中の光を見ようとする、
というなら、あんまり 違和感はないのです。
そこに、
「大人が望む”適切な行動”に、子どもを導こう。」
「肯定的なことはよいこと。ポジティブに考えよう」
という 哲学が入ってくると、
うーーん…
どうなんだろうな~(´・ω・`)
と個人的には思うわけです。
それって 確かに ちがう窓(フレーム)から 物事を見ようとしてるけど、
暗に
「この”肯定的な窓”から物事を見るのが 正しい」
と 押し付けているようにも、感じてしまいます。
リフレーミングって もっと自由なもの。
たくさんの窓(物事の枠組み=フレーム)がある、と知ること。(=選択肢が増えるということ)
そして、どの窓から 物事を眺めるのかは、自分で決められる、という主体性。
この2つがあってこそ、「リフレーミング」は 価値があると、私自身は感じています。
だから、最初の話に戻るけどねん。
Aさんが お子さんに、
「人は見たいように見て、聞きたいように聞くの!わかった?!
あなたも そう考えるようにしなさい!」
って アドバイスするのと、
「人は見たいように見て、聞きたいように聞くんだって」
と ただ 投げかけるのとでは ちがってきます。
私は 後者の方が好きだな。
Aさん、すてきなお話ありがとう!
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