こんちには。和久田ミカです。
ただいま、東京へ向かう特急の中です。
本日はお勉強。
ねーむーいー。
さてさて。
心の中に「地雷原」があるということという記事に関して、めずらしく いくつかメッセージをいただきました。
くださったみなさま、ありがとうござしました。
お返事は出さない主義でございまして、申し訳ないありません。
(出さなきゃ、と思うとプレッシャーになるため。)
「お返事不要」と書いてくださった方、お気遣い身にしみます。
今回の記事は、それらの方々へのお返事です。
先日。フェイスブックでこんなことをつぶやきました。
「そうそう、うちの夫がこれ」
というメッセージを数通いただいた。
そんな夫を
責めたくなる
分析したくなる
突き放したくなる
思い知れ、と糾弾する
そんな気持ちは、痛いほどわかる。
そういう時期もある。
でも、ほんとは
そんな酷い相手の幸せを祈れば祈るほど、心は穏やかになる。
…んだけどなあ
脳科学的にも、誰かのために 何かをする、ことは幸福感をもたらすそうです。
たとえば
「◯◯さんが幸せになりますように」
と祈ると、脳は自分が善い行いをしていると判断します。
ドーパミンやベータエンドルフィン、オキシトシンなどを分泌するのだそう。
さらに、ジャッジを手放し、犯人探しをやめ、分析を終わりにする。
それに着手すると、こころは穏やかになるものです。
心の中の ものすごい量のおしゃべりが止むから。
でも、あまりに心の傷が深いときは 相手のことを考えるだけで 吐きそうになるよね。
そのときは、自分のために祈ろう。
自分に愛をかけていこう。
上のフェイスブックのつぶやきをご覧になった方から、こんなメッセージもいただきました。
和久田さま、初めまして。
いつも投稿を拝読させて頂いています。
自分があの記事の旦那さんのような人間でした。
でも私が荒れ狂っていたその時々に、私の幸せを祈ってくれていた人がいたのだ、とこちらの投稿を思い出しました。
その時は嘘だとしか思えなくて。。。ありがとうございます。
また同じように、荒れ狂う父の痛みと悲しみが無くなるようにと祈っていた子どもの頃の自分も思い出しました。
父も私も優しかったのだと思えてきました。
いつも投稿を拝読させて頂いています。
自分があの記事の旦那さんのような人間でした。
でも私が荒れ狂っていたその時々に、私の幸せを祈ってくれていた人がいたのだ、とこちらの投稿を思い出しました。
その時は嘘だとしか思えなくて。。。ありがとうございます。
また同じように、荒れ狂う父の痛みと悲しみが無くなるようにと祈っていた子どもの頃の自分も思い出しました。
父も私も優しかったのだと思えてきました。
そう。
人ってね、意外とみんなやさしいのよ。
たとえ ひどいことしたとしてもね、その痛みを 理解したい、受け止めたいと思う人もいるの。
表面的な行動でなく、その奥にある光を見ている人も たくさんいるの。
小さい頃のあなたのように。
これからは、あなたお父さんのために祈っていこう。
これからは、あなたお父さんのために祈っていこう。
「お父さん、愛してます」
「お父さん、ごめんね」
「お父さん、許します」
「お父さん、ありがとう」
不思議なんだけど、そういう思いって 通じるような気がします。
祈ること
願うこと
わたしは生きていく上での、最強アイテムだと思っています。