こんにちは。和久田ミカです。
今日は預けていたワンコを迎えに行きました。
すんごく喜んでくれて、私もうれしい♡
ごほうびに、ドッグカフェに行ってきました。うれしそう!
さてさて。
先日の「それでいいのだ。そう見えて人生はうまくいってる」の記事に、
「ポジティブですね!」
というコメントををいただいたりしたのですが、少し違和感がありました。
物事のよい面を見よう、という意図で 記事を書いたわけではなかったので(*'ω'*)
今日は そのことについて 書いていきますね。
私ね、ポジティブシンキングが苦手なんです(*^^*)
「こんないいところもあるじゃない?」
「ポジティブに考えてみようよ」
なんて言われると、正直、
うるへー( ̄▽ ̄)
と思うことがございます。
自然にポジティブに変換できるなら それもいいんだけど、なんでもかんでも「よかった探し」は疲れます。
○○な出来事があって、私は△△と感じた、と 認識するだけではダメかしら?
意外と、「私は△△だと思ってるんだな~」って 自分の内面を俯瞰するだけで、楽になることも多いんだけど。
それに、
「あの苦労があったから、今があったんですよね?
今の私の苦労も、きっと成功につながりますよね?」
なんて言われたとしても、
「いや、それはわかんない…」
と思うのです。
努力は裏切るしね。
苦労したら成功する、という 成功法則はないから。
苦労にご利益ないから。
*こちらの記事も参考にしてね
吉田沙保里選手が、
「子どもの頃、骨折しているにもかかわらず、父親の意向で、試合に出た。
ギブスを外すため、お医者様に、腕から飛び出ている金属を削ってもらった。」
なんて話が 美談になってると、なんだかなーと 思うし。
いやいや、そんな経験しなくても、吉田選手は 強いと思うし。
逆に、そんな経験をしちゃうと、自分にも他人にも 厳しくなってしまうときがあります。
厳しくなる、とうことは、自分の中の裁判官が 見張りを強くするということなんだなあ。
「見張り」に、エネルギーを使いながら生活するのは、私は苦しいなあ。
*個人的に、吉田選手はお茶目で大好きです
以前、アスリートの人、元アスリートの人たちを コーチングしたことがあるんだけど、
「全力でがんばること」「苦労することへの美学」「みんなのために失敗しないこと」「成果への執着」
そんな価値観が 体にしみついていて、なかなか そこから離れることができない。
それも その人の生き方だから、しょうがないのだけどさ。
そこが ゆるんだら、もっと生きるのが楽になるんだけどな~と思うときもあります。
強い人ほど、がんばれなくなったとき、成果を出せなくなくなったとき、とてももろいのです。
話が横にそれました・・・。
そもそも、物事に、「よい」「悪い」とレッテルを貼ること自体、ナンセンス。


人によっては、同じことが起きたとしても、苦労だとは感じないかもしれないもんね。
(私が吉田選手だったら、きっとトラウマになって父親を恨むと思う。)
の記事で伝えたいのは、
目の前の出来事に 惑わされない、ということ。
よいことが起きても、悪いことが起きても、
「ほー、そうか」
と いつか 受け止められるようになりたい。
自分が置かれている状況を 受けとめられる、心の器を作ろう、
どうにもならない出来事は、ジタバタしながらも 受け入れていこう。
そういうこと。
ブツブツぐちる時期があってもいい。
他人を社会を呪うことがあってもいい。
吐き出し終えた後、起きている出来事を 全身で受け止められたら、体の力が抜けます。
体の力が抜けると、心の矢印が「外」ではなく、「内側」に向きます。
「じゃあ、私はどうしたいのかな?」
って 自分との対話が始まるのです。
あ、でも こういう考え方もありかなあ。
困ったときって 四方八方をふさがれるでしょう?
そしたら、もう上に抜けるしかない。
なんか いいじゃん、背水の陣のときに 上昇してスイッと抜け出るって( *´艸`)
神様が、わざと壁を作って 手招きをしているんだと思う。
「そっちじゃない、こっちだよ~」って。
なんか、話がとっちらかったので、まとめ。
起きている出来事に あらがわずに、生きていこう。
自分がどうしたいのか、心の声をていねいに聞いていこう。
そゆこと。
結局、いつも言ってることと同じ。
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