私がまだ、コーチとして駆け出しだったころ とある講師養成講座に行きました。
そこの仲間がまた、毒舌でねえ。
「そんなに安い単価で仕事してるの?まあ、和久田さんが その程度の人間ってことだよね」
「そんなんだったら、やめれば?仕事のなるの?それって。」
いやーーー、ものすごい上から目線。
不快なんだけど、苦笑いでやり過ごすわたし。
でも、私以外の人は 何も感じていないみたい…。
「あなたが どんだけすごい人なんだか知りませんけどっっっ・・・!!!」
と言いたくなるのを こらえ、セミナーの先生に クレームをしました。
「話し合いの場で、とても不快な思いをしました。
みなさん、もっと相手を考えて言葉を発してほしい。
話し合いの最初に、話し合い方のグランドルールを設けてはいかがでしょうか?」
講師の先生は、私のクレームをどう思ったかわかりませんが、提案を受け入れてくださいました。
でもね。今思うと…ですが。
あのとき私は「傷つけられた」のではなく「自分で傷ついた」のですねん。
なぜかというと、今同じことを言われたとしても なんとも思わないから。
「あぁ、このお方は 自分を大きく見せたいんだなあ。
すごいって言われたいんだなあ。」
と思うだけです。
当時は 劣等感が強かったので、私は「見下された」と感じていたのだと思います。
そして、上から目線の方々も 劣等感が強い方だったのだのかもしれません。
だからこそ、相手の劣等感を引き出すような、人をこき下ろすような言い方をされるのでしょう。
「本当のことを言ってあげてる」
なんておっしゃってたけどねん。
「本当に言いたいこと」は「私のことすごいって言って!認めて!!」のように感じます。
そう。だからね。
自分を傷つけるのは 自分自身なんです。
相手の人に「私が傷つかないように話して」と要求するのはムリ、ムリ。
相手が何を言ったら傷つくのか、なんてわからんもん。
「あの人は、私の期待通りのことを 話してくれないんです」
「あの人は、私が傷つかないように 配慮をしてくれないんです」
と感じるならば、その期待を少しずつ緩められると ラクだねえ。
相手の人もつかれちゃう。
それにね。
同じ言葉を聞いても、人によって感想はさまざまです。
私のブログもそうね、読む人によって感想が全くちがいます。
「傷ついた」「ためになった」「こわい」「何も感じない」みんなちがうのね。
いやな思いをしたなら、あくまで「自分の中の何かが反応して」「自分が傷ついた」だけなのです。
相手に要求するよりも、自分の話を聴いてあげる方が いいかもしれません。
「何に傷ついたの?」「どう感じたの?」
それが自分と向き合うということだと感じています。
そして、一応 補足しておくけど・・・
あきらかに 人を傷つける意図で言葉を発したり、
気分が悪くなる感情を垂れ流している友人知人がいたら 離れましょう。
不快な人といっしょにいる必要はないものね。
向き合う以上に、まきこまれないことも 大切かもしれません。
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