先日、こんな記事を見ました。
かいつまんで言うと、
「会社で内定をくれた上司を地下鉄の同じ車両で見かけた。
上司はお年寄りがいるにも関わらず、タヌキ寝入り。
腹を立てた彼女は、
『恥ずかしいと思わないのですか!?そんな汚い姑息な真似して!』
『自分が将来、こんな目に遭ったらあなたは悲しくないですか!?』
『あなたに感謝はしていますが、こんな恥ずかしい上司の下では働けません!』
そういって、内定を辞退した。」
というものです。
ここではこの行動が正しいか、まちがっているか、ではなく、自分の感じたことを書いてみます。
読んでいて、この女性は正義感が強い方なのだろうなあと感じました。
弱者は守らねば、やさしくしなくては…
そういう信念があるのでしょう。
思いやり、やさしさ。
それ自体は、すばらしいことだと思います。
ただ「弱者」に注目しすぎて、他のものが見えなくなる時があるかもしれません。
おばあちゃんが足腰を鍛えるためにあえて立っているのだとしたら?
上司の体調が悪かったり、疲れ切っていたとしたら?
仮にたぬき寝入りしたとしても、人ってそんな一面だけで判断できないし…。
そんな想像力が欠けてしまいます。
正義感は もろ刃の剣なのです。
それを他人に向けたとき
「裁く者」
「裁かれる者」
に分かれます。
つまり、善と悪、白と黒、上と下ですね。
上司は、立場が「上」の人。
でも、お年寄りに席を譲らないなんて、人間として「下(悪)」の人
自分より「下(悪)」の人が、「上(上司)」の人になることが許せなかったのでしょう。
私はその白黒の付け方に、傲慢さを感じます。
たぶん彼女は、内定した会社に入ったとしても、人を裁きながら仕事をすることでしょう。
「これは正しくない」
「あれはまちがっている」
そういう状態は、上司にとっても、この女性にとっても 針のむしろね。
今回のエピソードは、だれが悪いわけでもないけれど、彼女が上司のせいにしていると、ずっと引きずるかもねん。
♪武勇伝 武勇伝 デンデンデンデデンデデンデンデン
と自分の心の傷をなめながら、生きていくことになってしまうかも。
自分自身の課題としてとらえることで、彼女自身が輝ける話だと感じます。
でね。
なぜこの記事が引っかかったかと言うと、私が30年若かったら 同じことをやりそうだから(笑)
私ね、正義感の塊だったんです。
悪だと思うと、噛みついて ガブガブしちゃう。
ガブガブして 自己満足するだけど、いまいち伝わった感じがしなくて、なんかむなしくなったりして。
今は、
人は人。自分は自分。
と分けて考えているので、相手をコントロールしたり、ジャッジしたりするより、
「自分ができることって何だろう」
と考えることが多くなりました。
8割方は、
「これは私の問題ではないので、見守ろう。
私の中にわいてきた、ネガティブな感情は 私自身が責任を持とう」
というところに行きつくことが多いのですが…。
関係ないけど、地下鉄に乗ったとき こんな風景だったら、思わず声が出るよね~。
(朝日新聞社より)

で、この話は終わり~(*^_^*)
叱るより聞くでうまくいく 子どもの心のコーチング/KADOKAWA/中経出版

¥1,296
Amazon.co.jp
叱るより聞くでうまくいく子どもの心のコーチング [ 和久田ミカ ]

¥1,296
楽天
叱るより聞くでうまくいく子どもの心のコーチング 0歳から6歳までの[本/雑誌] / 和久田ミカ/著

¥1,296
楽天¥