今日は、昔話を・・・。
まだ 一番下の妹が 生まれていなかったから、幼稚園生の頃です。
私は、親を困らせることが大得意の、かなりの かんしゃく持ちでした。
その日も、また 叱られました。
なんで、叱られたんだろう…それはもう 覚えていません。
突然、母は 下の妹を自転車に乗せ、どこかへ 行ってしまいました。
私は、泣きながら 外で 待っていましたが、帰って来ません。
母の姿が消えた道を 探し歩き、あきらめて、家に戻り、また 探し、家に戻り、を 何度も 何度も 繰り返しました。

(c) 夢雫|写真素材 PIXTA
もう、ずっと 一人ぼっちなのかな、と 思いました。
妹のことは 連れて行くんだなあ、やっぱり 妹のことは かわいんだなあ、と 悲しくなりました。
本当は いい子になりたいけれど、妹を見ると いじめたくなるし、母を見ると 反抗したくなります。
ますます 嫌われちゃうけれど、どうしようもない。
私を 突き動かす、この 胸のモヤモヤが なんだか わからなかったのです。
今思うと、やっかい者になるしか 私の存在を アピールする方法が なかったのかもしれません。

「母はあまり私のことが好きではない」ということを 受け入れるためには、あえて悪い子になる必要があったのかもしれません。
だから私は、無性に 暴れん坊になったり 反抗的になったりする子の気持ちがとってもよく わかります。
やりたくて、やっているわけでは ない、ただ 自分を見て欲しいだけ。それだけ。
とてつもない 不安の中に いるのです。
…しばらくして、母と妹が 帰ってきました。
聞くと、パーマ屋さんに行って お昼を食べて 帰ってきたとのこと。
安心したのか 足が がくがく震えました。
母が おうどんを 作って、食べさせてくれました。

(c) 写詩ん|写真素材 PIXTA
私は、1歳から 記憶があるのですが、幼児期の記憶の中で この原風景は 一番 強烈に残っています。
その後、私は 見捨てられてしまうこわさから、ますます 母から 離れられなくなり、
自分に 注目をひきつけたいあまりに、ますます 困ったことを し続けるようになります。
あ、でもね。
母の名誉のために 書き加えると、母は おそらく模範的な母親でした。
家庭菜園で採れた野菜で 手作り料理をし、子どもの洋服を手作りし、教育熱心で いろんな 習い事を させてくれました。
当時の母は、今の私より ずっと 若く、どうしようも なくなってしまったんでしょうね。
それだけ、私の行動が 理解しづらいものだった、ということです。
4~5歳の子を 放置して どこかへ行ってしまうという行為は、いまだに 理解できません。
でも、当時の 母の気持ちには 寄り添うことができるようになりました。
あんだけ 不良娘だった私も、今では母との関係は良好で、当時のことは すっかり許しています。
私が 子育ての仕事をしている原点は、ここにあるように思います。
母のように 困った子を抱えて、にっちもさっちも 行かなくなっているママの サポートをしたい。
私のように 胸のモヤモヤに 突き動かされて、行動が 制御できなくなっている子を 助けたい。
心の仕組みを学んだり、コミュニケーションの方法を知ったりするだけで、楽になることがあります。
これから、たくさんの人に伝えていきたいな。