
こんなメッセージをいただきました。
子供がまだ遊びたいと言えば、何時に寝ようと、子供の遊びたい気持ちを満たしたからオーケー。
子供が食べたがれば、何時何でも食べさせ、子供を満たしたからオーケー。等々、、、。
それで子供を満たして、子供が笑っていたら、それで良い。
更にはそれが自己肯定感に繋がっているという方もいました。
私は私の正しさを押し付けるつもりは無いので、
親が楽だから、私は何時に寝ても、何を食べさせても良い事にしてるんだ
って言われたら、「そうなんだね!!」って受け止めれます。
でも「子供を満たすため!!」って言われると、凄く恐ろしさを感じてしまいます。
それが自己肯定感を与えてるって、自己肯定感て、そんな物でしょうか。
子供が食べたがれば、何時何でも食べさせ、子供を満たしたからオーケー。等々、、、。
それで子供を満たして、子供が笑っていたら、それで良い。
更にはそれが自己肯定感に繋がっているという方もいました。
私は私の正しさを押し付けるつもりは無いので、
親が楽だから、私は何時に寝ても、何を食べさせても良い事にしてるんだ
って言われたら、「そうなんだね!!」って受け止めれます。
でも「子供を満たすため!!」って言われると、凄く恐ろしさを感じてしまいます。
それが自己肯定感を与えてるって、自己肯定感て、そんな物でしょうか。
私がどう思うかを お聞きになりたい、とのこと。
このお話は いろんな視点から 見ることができますが、この方の軸は「子どもを満たすこと」なんですね。
意訳するなら、「要望を聞く」ことが「満たす」ことだと 感じておられるのかな(*^_^*)
それが よい、悪い、と ジャッジするつもりはありません。
それによって 何を学ぶのか、という視点で見ていくと、長所も短所もありますね。

かもしれないし、

かもしれません。どっちも、かもしれません。
成長してから、お子さんに訊いてみないと わからないですね(*^_^*)
そして、保護者の方が「満たす」にこだわる根っこに何があるのかな?ということです。
簡単に言うと、


どちらなのかな~?ということ。
これまた ご本人に訊いてみないと、わからないですねん(*^_^*)
ぼわんとした書き方でごめんなさい。
分析はできるけど「他人がどう思っているのかは、聞いてみないとわからない」のですねん。
なぜ そんなに その人が 気になるのかな?
自分の中を 探ってみると 何が出てくるでしょう?気になる人は鏡だから☆
そして、これは 私の個人的な意見ですが、親の軸がどこにあっても 子どもは それなりに育つ、と思っています。
教師をしていたとき、いろんな方針の保護者がいましたが、子どもたちは ちゃんと育っていたからです。
(もちろん、どの子も でこぼこ・強み弱みは ありますけどねん。)
子育て法は 山ほどあります。
おっしゃるように どれが正しいわけではありません。
どの親も 一生懸命 子どものことを考えています。
私は それに物申したいとは思ってないのね。
私が伝えたいのは、「こういう考え方もあるよ」という提案。
子育てという旅をするときに、「これがあると楽だよ」「もっとおもしろいよ」というツールを提供するにすぎません。
そのツールを 持って歩くかどうかは、本人が決めればいいですね。
みな子育てという旅をしている仲間ですから、道は違えど 向かっていくゴールは同じ。
子どもたちは 大人になって 離れていきますから、そこがゴール。
だからね。大丈夫だよ。ちゃんとその子も育つから。
集団生活に入ってから 苦労するかもしれないけど、その子自身の力で きっと乗り越えていくからねん。
お答えになっているかしら?(*^_^*)