
私は「和久田」という苗字なのですが、なかなか 正しく読んでもらえません。
一番多いのが「和久井さん」。
友達からの年賀状や 病院の呼び出しなど、なぜか「和久井さん」と呼ばれます。
私は、名前は記号のようなものだと思っているので、あまり気にもせず。
「は~い」と返事をして、特に訂正もしません。
でも、娘は 名前を間違えられることが とってもいやなようです。
理由を聞いてみると「みんなに笑われるから、はずかしい。」
代理の先生が出席をとられるときに、いつもまちがってしまうようです。
みんなに笑われて「目立ってうれしい」という子もいるけど、娘は「はずかしい」のですね。
二つの出来事は、「名前を読みまちがえられた」という共通点があります。
でも、私と娘では わきあがる感情がまったくちがいます。
それは 娘の場合、「はずかしい~」という感情がともなって、記憶に刻まれてしまったから。
「読みまちがえ」=「はずかしい」という回路ができあがってしまったのですねん。
私たちは、体験を通して いろんな記憶の回路を作ります。
特に 感情を伴うものは、強く記憶されます。
私は、ずっと 揺れるものを見るのが苦手でした。
特にブランコは大嫌い。ゆらゆらするのも、キーキー音が鳴るのもだめ。
ドキドキしてしまい、気持ちが悪くなってしまうのです。
あるとき父から、1歳の時にブランコから落ちて、それから ブランコに乗らなくなったという話を聞きました。
なるほど~、と思いました。
ブランコ=こわい → ゆらゆら揺れる=こわい
と記憶されてしまったのですね。(今でもブランコは苦手です)
強く叱られた記憶、とても痛かった感覚、うれしかった思い、わくわくした気持ち。
そういったものは 体験とともに 体に記憶されます。
体の感覚にアクセスしていくとき、わけのわからない ドキドキやムカムカに行きあたったら、感じてみてね。
じ~~~っと 感じるあげるだけでも、少しずつ 軽くなっていくから。