ゴールデンウイークは、博多で講座をする予定でしたが、夫の予定と会わず、名古屋となりました。
「行きたい!」と言ってくださったみなさま、夏か秋に伺いますね。

さて、私はメンテナンスや勉強のために、カウンセリングやコーチングなどのセッションを 継続的に受けています。
一昨日は、カウンセリングで 子どもの頃のことを振り返りました。
私は 困ったお子ちゃまだったので、母は 私の行動が理解できず、ずいぶん困惑したことと思います。
幼少期、私は言葉が少ない子でした。
幼稚園や小学校であったことを 話したこともありません。
「今日は何したの?」と聞かれても なんて答えたらいいのかわからないので、黙ってしまう子でした。
激しいかんしゃくもよく起こしました。
体の中で うずまく感覚だけはわかるのですが、それを言葉にするのが むずかしかったのですね。
突き上げるような感覚に 襲われ、ぐずったり、暴れたりしたので、両親は かなり悩んだようです。
体の感覚だけで 生きているような子でした。
9歳を過ぎると、言葉という武器を身に着けます。
本が大好きで かなりの量を読んでいたので、言葉を使うことが 得意になったのですね。
理路整然と 相手をやり込めることを 覚えます。
両親の心にグサリと刺さる言葉を わざわざ投げつけます。
「正しさ」という軸が 強い強いものとなっていきました。
でね。
カウンセリングを受けていて わかったのは、私は いつも 本当のことを表現していなかったということです。
うそをついていたわけではないの。
本当のに言いたいことは、この2つ。
「もっと 私のことを見て!」
「私のことも愛して!」
でも、この叫びが 外に出たとき、かんしゃくとなったり、正義となっていたりしたのね。
当時、この思いに 気づいていたら、あのわけのわからない衝動に 振り回されなくて済んだかも、と思うときがあります。
それに 気づかせてくれた もう一人の人がいます。娘です。
娘は 小さい頃から 言葉を使うのが得意で、「本当のこと」を話します。
最近は よく 子犬のバニラに焼きもちを焼くのですが、
「わ~、ずる~い!みつきも抱っこしてほしい!!」
「焼きもち焼いちゃうもん。すねちゃうもん。ぷい~っ。」
と 率直に 気持ちを伝えてくれるのですね。
自分で 何を感じているのかを よくわかっているのです。
「そっか~、抱っこしてほしいんだね。」
「あらら~、すねちゃったんだね」
と そのまま受け止めてあげると、にっこりします。
かんしゃくを起こしたり、理論武装したりするより、わかりやすいので 助かっています。
(かんしゃくを起こすことも ありますけどねん)
困らせる子は、困っている子なのだと よく言われます。
そう思うと、少し 視点が変わりますね。
困らせる子は、何をわかってほしくて 困らせているのでしょう?
困らせる行動は、何のために しているのでしょう?
子どもを理解する視点を持つと、子育てが 楽になっていきます。