あのときの思いは ずっと 胸に | 子育ては「聞く」が9割でうまくいく~心理学ブログ

子育ては「聞く」が9割でうまくいく~心理学ブログ

3つの「聞く」技術があれば、子育てのムダ叱りも イライラも ストレスも 減ります!
小学校教員 9年間の経験を生かした、子育ても 生きるのも 楽になるヒントが詰まっています。

ゆるっと☆にこママコミュ代表・和久田ミカです。

今日で 東日本大震災から 2年ですね。

テレビなどでも、当時の様子や現在の取り組みなどが報道されています。

まだま 仮設住宅に住んでおられる方も いらっしゃるし、がれきの撤去も進まない。

家に戻るめどが立たない方も、職を失ったままの人も。

まだまだ 震災の爪痕は 残っているなあと感じます。


私自身の思いの棚卸のために、当時のことを振り返らせてくださいませ。

昨日 砂ぼこりで 空がまっ黄色でしたが、2年前のお昼ごろも 同じような色でした。

2年たっても、当時の記憶は体に刻まれ、日常の折々に ふと思い出されます。


私は 茨城に住んでいますが、やはり大きな地震に見舞われました。

市内にも 津波が押し寄せ、他市町村では コンビナートの火災など 大きな事故が相次ぎました。


隣り村の原発は、津波を浴びて 1つの電源が断たれました。

幸い、防波堤を作ったばかりで ほかの電源が生きていたため、結果的には 大事には至りませんでした。

現場は大混乱で、大変だったことを テレビ番組で見ました。


近くの高速道路は、割れ、崩れ落ちました。

しかし、東北へ物資を送るためには 不可欠な 道路であるため、急いで復旧が行われました。

崩れた土砂を 置く場所を探すため、田んぼの地主を 歩いて探したそうです。

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震災当時の市内の様子です。しばらく電車が不通となりました。

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うちから比較的近いところにある高速道路。

6日間で復旧したことが世界中で報道されました。


当時私は、子どもを守ることで 必死でした。

水がない、電気も来ない、お店はみな閉まっている。

情報が入らない。いつ復旧するかもわからない。

あまりの寒さに、二人で踏み台昇降をし、やっと探したパン屋さんのフランスパンをかじって寝ました。

電気は3日、水は2週間ほどで復旧しましたが、その間、地域で助け合って生活していました。

発電機を持ち寄ったり、井戸を貸し借りしたり。

余震がこわくて 車で生活している人も多かったっけ。


あー、まだまだ 振り返りたいことがある~、けど この辺にしておこうっと。

あのときのこわさを こうやって 書くことで消化しているのです。

いつもご覧くださいまして、ありがとうございます。