3.11 | 子育ては「聞く」が9割でうまくいく~心理学ブログ

子育ては「聞く」が9割でうまくいく~心理学ブログ

3つの「聞く」技術があれば、子育てのムダ叱りも イライラも ストレスも 減ります!
小学校教員 9年間の経験を生かした、子育ても 生きるのも 楽になるヒントが詰まっています。

ゆるっと☆にこママコミュ代表・和久田ミカです。

数日間、体調がすぐれず お休みをいただきました。

思い切って 休もうと思い、PCに触らないでいたら、メッセージがたくさん…。

順番にお返事しますので、少々お待ちくださいませ。


さて、みなさんが 振り返り終わっておられますが、私も3月11日を振り返りたいと思います。

私が忘れないための 忘備録ですので、ご興味のない方は スルーしてくださいね★


1年前の3/11の14:50ごろ。大きな大きな地震にみまわれました。

棚の上のものが落ち、食器が割れ、突き上げるような揺れの中、必死にテーブルの下に隠れました。

連続した3つの地震が重なり、心細い思いでいっぱいでした。

すぐに停電になったので、断水を考え 水をためながら、余震の中、幼稚園にお迎えに行く準備を始めました。

幼稚園に着くと、幼稚園児たちは みな じっと整列し、お迎えを待っていました。

娘は 笑顔で 走り寄ってきてくれ、安堵したことを覚えています。

荷物が全部教室だったので 取りに戻ろうとするものの、余震がひどく 職員の方が 取ってきてくださいました。

このあと3月末の卒園式まで 幼稚園に行けなくなるとは そのときは 思いもよりませんでした。


帰途に着くも、車の運転ができないほどの 揺れにみまわれます。

イチョウ並木が まるで生き物のように 右に左に 大きく揺れています。

クレーンの先が ものすごい勢いで ぐるぐる回っています。

目の前で 道路の表面が 波打っていきます。

信号は とっくに ついていません。みな、交差点では 周りを見ながら 譲り合って渡ります。

携帯電話は すぐに使えなくなり、誰にも 連絡が取れません。

携帯から見るツイッターだけが、情報源でした。


何度も何度も、空襲警報のようなサイレンが 鳴ります。

戦争中って こんな感じかな…でも 敵機がこないだけ ましか…そんなことを 思いながら、心臓がドキドキするのを 感じました。。

あのときは、それが 津波警報だとは まったく思いもしませんでした。

数時間後、市内の海側の地域は 津波に見舞われます


ほとんどのスーパーやコンビニは閉まってしまったので、店を何軒も回りました。

お金を持っていても 品物を買えない ひもじさ。

やっと見つけたパン屋さんで パンやジュースを買い、一安心。

真っ暗で 寒い夜を 娘と過ごしました。

娘とはいまだに「あの夜はフランスパンが夜ご飯だったね」と 話をします。


電気も水も来ない 生活が始まります。

特に水は2週間近く来なかったので、本当に 大変でした。

1日目は、3時間並んで 1リットルしかもらえませんでした。

幸い、数日後からは、井戸水が出る家が近所にあったり、実家が井戸を持っていたことで、なんとか しのげました。

水がないというだけで、どんなに 生活が変わるかを 体験しました。

トイレに行っても 流せない。手も洗えない。お風呂も入れない。洗濯もできない。お皿も洗えない。

さらに、いつ復旧するかも わからない生活だったので、先の見えない不安に さいなまされました。

電気がこない数日は、地元の茨城放送のラジオに 耳を傾けていました。

でも、どこで配給をしているのか、どこで炊き出しをしているのか、どの店が開いているのか、さっぱりわかりません。

水を汲みに行ったときに、近所の方の口コミ情報が 一番 正確で役に立ちました。


電気が来ない中、夫が バッテリーを改造し、携帯を充電したときのこと。

久しぶりに ワンセグでテレビ放送を見、家が流されている映像に 心臓が止まりそうな思いがしました。

小さな画面でしたが、現実とは思えないほど 生々しい映像。

家族がいるのにも関わらず、声をあげて泣きました。



思い出すと、他にも いろいろいろいろあるのですが、この辺にしようと思います。

私は まわりに 亡くなった方がいるわけではなく、茨城の震災は 東北ほどの被害はありません。

でも、いまだに 道が割れていたり、家が半壊している場所があります。

いまだに 誰かが震災の話をし始めると、皆 口が止まらなくなります。

みんな 話したい。共有したい。そうだったよね、と共感したい。

私自身も、これから先、ずっと 孫の代まで しつこく話して聞かせるのだろうなあ、と 思います。


それから、最後になりましたが 救援物資を送ってくださった方、送ろうかとお声をかけてくださった方々へ。

そのときは 本当に ありがとうございました。

手を差し伸べていただける、というだけで どれだけココロが救われたか!!

本当に 感謝しております。

何かあったときは 私も 他の方にそう申し出られるような存在になりたい、と 思います。

また、亡くなった方のご冥福を 心からお祈り申し上げます。