
私が 信頼している方のお一人に、娘のピアノの先生がいらっしゃいます。
きっかけは、コーチングの講座で出会ったこと。
遠方の講座であったにもかかわらず、隣町にお住まいだったことや そのお人柄にひかれ、ピアノのレッスンをお願いしました。
娘は 頑張りすぎるところが あるのですが、先生の前では うれしいときはうれしい顔をし、疲れているときは ぐだぐだしています。
そのまんまの娘でいられることが、うれしいなあ~と思っています。
そのことをメールにて お話したところ、ブログに 書いてくださいました。
「ある生徒のお母さんから、うれしい言葉をいただきました。
先生の前での娘は、普段のままの娘なので 安心してレッスンに伺えます。という内容。
ここには2つのうれしい点があるのです。
まず、その子が、普段のままで、緊張しないで レッスンを受けられていること。
信頼されていると感じます。
もうひとつは、お母さんが、その子が普段のままであることを うれしく思っていること。
この2つ目は、奥が深いなあって思います。
だってね、親って、ついつい子供に「きちんとしている」状態を求めてしまいません?
もしかして、私だけ?
(でも最近ではそういうこともあまりありません・・この話はいつかまた♪)
そんな無言のプレッシャーを感じながら レッスンを受けていたとしたら・・どうでしょう。
感性の扉が開かないような気がします。
私のレッスンでは、生徒さんとたくさんのやりとりをします。
イメージについて話したり、目標について話したり、今出した音色がどうだったか話し合ったり・・本当にたくさん。
きちんとしなくちゃ
イイコトいわなくちゃ
って思ってたら、出てくる言葉も出てこないし、感じられるものも感じられないですものね。
(あ、普段のままでいるってことは、別に「態度悪い」ってことではありません。)
お母さんの受け止め方が素敵だな~ありがたいな~って思いました。」
ひろこ先生のブログはこちらです。
拝見して 目からうろこでした。
そっか~、私は娘に対して「きちんとしている」は求めていないんだな~と。
どちらかというと「がんばりすぎて、ムリしてないか」に 目が行きます。
(それが、よいとか悪いとかいう 話ではないですよ)
で、やっぱり そう思えるのは、先生のおかげかな~と。
ひろこ先生は ピアノの先生ですが、娘のスキル以前に 娘自身を見ているんですね。
「うまい」「下手」「できる」「できない」というところに フォーカスしていません。
娘が どんなふうに 演奏したいと思っているのか。
どんな目標に向かって 練習し、そのためには 何を していきたいと思っているのか。
幼稚園生のときも、娘の可能性を 信じ、問いかけてくださいました。
評価を与えるのではなく、娘の中から 引きだしてくださるので、娘がムリをしないで のびのびしています。
こんなピアノの先生が どんどん 増えるといいな~と思います。
先生しだいで、子どもの伸びは ちがってきますからねん。
すばらしい出会いに
