懇談会の中で、先生から
「お弁当をこぼしても そのままの子がいます。
かぼちゃがベチャーっと 床につぶれていたり。
こぼれてるよ、と言えば ふきますが、
家でも こぼしたものは 自分でふく習慣を つけてください」
こんなお話がありました。
それを 聞いて、心がざわざわ としました。
うちの娘のことかしら?と 思ったのです。
お恥ずかしい話ですが、一瞬 私の心が 言い訳していました。
「娘は、食べ物をこぼしたら 家では ちゃんと ふいてますよ。
単に、気が付かなかったのでは ないでしょうか?」
でも、待て!私。
なんか、おかしいぞ。
心が ざわざわしたときは、要注意。
思い込みが まぎれこんでいる 可能性大です。
自分の内面を よーく 見てみます。
・娘は 卵アレルギーなので、お弁当の彩りに 毎日かぼちゃを 持って行っている。
でも、「かぼちゃ」を 持ってきているのは、娘だけではない。
よって、娘の話とは 限らない。
・普段の生活で、「そういえば、過保護な面があるかも」と どこかで 思い当たる節がある。
・先生に、娘のことを 認めてほしいと思う、親心…。
娘が できていないと 言われているようで、悲しい。
か~な~り~ 妄想が 膨らんでいます



「かぼちゃ」の一言に、勝手に 心が反応していたんですね。
すぐ、頭を 切り替えました。
先生の話「食べ物を こぼしたら、拭く習慣をつけましょう」

私「はい、家でも 習慣をつけるよう、努めていきます。」
実際は、たった これだけの できごとです。
先生の話を聞いて、
「うちの子のことかしら?」
「私、今 暗に 指摘されてる?」
と 思うのは、エネルギーのムダです。
先生に確認しないと、本当のところは わかりません。
仮に、それが 娘の話だとしても、そこで 自分のモヤモヤに すりかえるのは、
懇談会の意図とは かなり ずれています。
親になるって、やっかいですね~。
私が 教師をしていたとき、私の ちょっとした 一言に
ヒステリックに反応してくる保護者が いました。
その反応は、かなり 的外れで あることが多く、
当時の私は どうして こうなっちゃうんだろう…なんて思っていました。
でも、今は ちょっと その気持ちがわかります。
その方の内面に、何か 思い当たる節があり、それが 反応していたんですね。
先生の 一言に振り回されないためには、先生の言動ではなく 自分の内面を見ます。
すると、意外と 自分を振り回しているのは、自分だったりしますよ。
★ 心がざわざわしたとき、何に 反応していますか?