昔勤めていた学校で、盛大に 七夕祭りをする習慣がありました。
ひとクラスに一本 大~きな竹。
それに、おもいっきり 飾り付けて 祝うのです。
竹を切り出すのは、教員の役目。
1kmほどのところにある竹林から、持ったり、引きずったりして 持ってきます。
きっと、木だったら 折れてしまうでしょう。
竹は 細いけれど、とてもしなやかで 丈夫だったことを思い出します。
私は、娘には 竹のようなしなやかさを持って 育ってほしいなあと思います。
そのために、娘の話を なるべく 丁寧に聞くことを 心がけています。
特に、ネガティブな気持ちに 陥っているときは、肯定も 否定もせず
ただ 言葉の重みそのものを 感じながら、話を聞きます。
アドバイスも 評価も なだめることも 繕うこともしません。
するのは、「こういうことが あったんだね、」という事実の 簡単なフィードバック。
そして、「悲しかったんだね。」「やきもちを焼いちゃったんだね。」「わかってほしかったんだね。」
などと 娘の気持ちを 代弁するだけです。
そんなやりとりを 心がけていることもあり、娘は よく話をします。
いやなことがあったときは、泣きながら 私に 全部 吐き出し、すぐに 立ち直ります。
話を聞いて それを受け止めてくれる人がいる場合、
子どもは ちょっとや そっとでは へこたれなくなります。
ポキッと折れずに、すぐ しなやかに 立ち上がります。
よく、「強い人」というと 泣き言を言わず、不満があっても無言で耐え、我慢を美徳とし…
みたいな 人を 思い浮かべることが あると思います。
物で表現するなら、「木」ですね。
確かに、「強い」。
でも、ポキッと 折れやすい。
感情を溜め込んで 我慢していると、感じなくなってしまうことがあります。
つらい感情を出したり、感じたりすることが 「悪」になっている場合や、その受け皿がない場合、
自分の気持ちが 自分でわからない 大人になっていきます。
また、それが「もやもや」という漠然としたものとなって ふくれあがり、
爆発することがあります。
木が、ポキッと 折れてしまう状態です。
私は、娘が まだ赤ちゃんの頃に、この状態になりました。
精神的にも 体力的にも 限界なのに、一人で がんばり続けて、ポキッと折れました。
起き上がることが できなくなり、一日中 寝ていました。
誰かに、(表面的な愚痴ではなく)本気で つらい気持ちを 聞いてもらえたり、
夫に 甘えたりすることができたならば 違っていたかもしれません。
でも、「母親は 家族を一番に考え、自己犠牲をしてこそ 役に立つ存在」
という観念に縛られて、限界まで 走り続けました。
私が 変わったのは、パーソナルコーチングで
コーチから とことん 話を聞いてもらったことが きっかけです。
私の話に 評価を加えず、そのままの重みで 聞いてもらえました。
がんばらなくていい、このままの 私でいい、
少しずつ 少しずつ そう思えるようになっていきました。
そのおかげで、木から竹へ 変われたような気がします。
母は強し。
木ではなく、竹のように しなやかに 強くなれたなら、ママも子どもも幸せですよね。
★ あなたの強さは、「木」ですか「竹」ですか?
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