2018年の終わりに | ハートフリースペースのSimple days

ハートフリースペースのSimple days

心と体はひとつです。体が不調な時、心は何かを訴えている。 心が不調な時、体は何かを訴えている。
心と体に耳を澄ませて、ラクに、シンプルに生きることを大切にしませんか。

雲の切れ間に時折神々しくまぶしい光を届けてくれた太陽も沈み

大みそかもあとわずかです。

 

さまざまな出会い、その方々と過ごすさまざまな瞬間が

今年も私自身が目覚めていられるようサポートしてくれた

と実感しています。

 

今年は久しぶりにお会いする方々が複数いらっしゃいました。

10数年ぶりのAさんがこんなふうにおっしゃって下さいました。

「色々困難もあるけど、時々ホームページを見ては、ああ、まだやっている、ここがある、と確認することで支えられてきました」

Bさんは

「以前のように今は特にせっぱつまってはいないけど、何だか毎年年賀状を書くみたいに12月になると来るのが私には大事。来ると1年を振り返ったり、今の自分を確認できたりもする」

数年ぶりのCさんは「結論を出す前に、他にも選択肢があるのか、本当にこうしたいのか確認しようと、ここに来る場所があることを思い出したんです」

 

こなふうに訪ねていただけることを知って

命を与えられたことをつくづく感謝する瞬間がいくつもありました。

 

ゲシュタルトとセンサリーアウェアネスのワークショップを通じて

共有できたかけがえのない気づきの一瞬一瞬も

私の血肉になっていると感じます。

オーガナイズする機会、リードする機会を与えられたことにも

心から感謝です。

 

プライベートではレビー小体型認知症の母から

大切なことを教わり続けています。

一言で言えば

人間にとって一番大切なのは尊厳だということになるでしょうか。

認知症で記憶想起に変調があっても

精神の健全さは失われない、という確信にもつながります。

 

この1か月

予期しない環境の変化で症状が進行してしまった母の

繰り返す「やさしい」という言葉が印象深く心に響いています。

 

「やさしくしてくれるから助かるの」

「ああ、やさしい言い方ねぇ・・・」

「あなたがやさしいから・・・」

「やさしいわね、いいの?」

 

これらの言葉は

母が現実を認識している瞬間も、記憶がどこかへ行っている瞬間も

つまり私を私と認識している状態でも

私を見知らぬ人と認識している状態でも

どちらであっても聞かれます。

そして

私が何か特別なことをした時ではないのです。

ただ話に耳を傾けたり

言葉を探しているのを待っていたり

時間をかけて大丈夫だと伝えたりしている時なのです。

 

認知症のケアで「ユマニチュード」が提唱されて大分たちますが

これは認知症患者に対して人間らしく接するケアの方法です。

「ユマニチュード」が効果を上げているのは

母の「やさしい」という言葉に表現されることと共通すると思います。

 

認知症の方の症状の改善には

一人の人間として大事にされた、と感じることが

大きく影響するということでしょう。

そして

これは認知症に限らずあらゆる場合に当てはまる

と私は考えています。

 

母に対しても

さまざまに出会ってくださる方々に対しても

私にできることは決して万全ではなく、限られていますが

これからも誠実に、丁寧に、できることをしていきましょう。

こう思えることが、とてもとてもありがたい。

 

今年も1年間ありがとうございました。

みなさま、どうぞ良いお年をお迎えください。