ヒヤシンスの水栽培容器の開発者物語 -16ページ目

ヒヤシンスの水栽培容器の開発者物語

なんでヒヤシンスの水栽培容器なのか?
そこから産まれる心の成長を伝えます。

今日はどんな役になれるだろうか?

もし、あなたが人生を生きるための
役者になったとイメージしてみたらどんなことを
しますか。

朝起きて仕事に行くを
朝起きて舞台に立つとすると
どうしますか。

有名ではないですがあなたには
小さいけれど「舞台がある」
そこにはお客さんが今日も
来てくれます。

恥ずかしくないように準備し
化粧をし、服装をかんがえて
ドキドキして。
いろいろな事が短時間に
過ぎていきます。

最短距離を目指して準備も
するでしょう。

どんな立ち振る舞いをするかも
考えるんじゃないですか。

さー準備もできました。

数時間後はあなたの舞台が
開演します。

楽しんでください。

この舞台が「仕事」
お客様が「お客様」
演じるのは今現在しているプロジェクト
だったりします。

役者のように自分を演じてみては
いかがでしょうか。

同僚や上司や後輩。または自分に
まつわる人々。

演じることによって、あなたは何にでも
なれます。

いやな仕事や勉強があったとしても
役者なら台詞を覚えるのは当たり前
どんな役が来てもあなたは
「プロ中のプロです」
いろんな役が舞い込んできても演じきれます。

失敗する役
成功する役
ケンカする役
苦しくなる役

どんな役にもあなたはなれます。

自分は役者と考えたら
辛い出来事を役柄と考えて
過ごすことができるのではないでしょうか。

人生は終わるまでの片道切符しか
どなたも持っていません

ぐずぐずしている時間なんて
ないのです。

とにかく前に進んで行きましょう

今日もありがとうございます。

人間の体には、小宇宙のように不思議な能力も潜在しているようですが、現実的には、いろいろな痛みと戦いながらカラダを維持しています。

の痛み・・心配や不安、ストレスが引き起こして精神を侵してしまう場合もあります。いわゆる「やる気」を失くす状態がその例ですが、反対に精神が高揚し、暴力にまで至ってしまう場合もあります。


肉体的な痛み・・これは、頭のてっぺんからつま先まで、あらゆるところに出てきます。カラダの全体を覆っている「神経」が痛みを伝達する場合もあるし、神経そのものがカラダの骨格や筋肉などに痛められている場合もあります。

一言に「痛い」と言っても、どんな風に痛いの?と問われると、その痛みの状態は他人には伝わらないもどかしさがあります。

ズキズキ、ピリピリ、ドーンと重い痛み、チクチクなど、その形容は多岐に渡ります。

実際に、同じ分位に同じ姿勢等をとった時に感じる痛みは、経験したことのある人には、その痛みの状態がおおよそ伝わるものですが、この痛みは、代わってあげたくても、見守るだけで代わってあげられないものです。

その時だけ痛い、一過性のものもあります。あれっ?何だか痛いな!と思うのですが、そのうちに痛みが消えていくものもあります。


他人には、分かってもらえない痛みですので、自分が「主治医」になって、注意深く観察する必要があります。

痛みを軽視してカラダをだましながら使っていると、思わぬ病魔に侵されていたり、痛みの慢性化に症状が進んでしまう場合もあります。変だと感じたら早めの検査、手当てが必要です。

そして、平素からアンテナを張って、治療法の情報を得ることも大切なことです。あくまでも、主治医はあなた自身なのです。



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人は行きづまる。
確かに生きていれば、うまくいくこともあれば
そうでないことがある

得てして後者の方が多くある。

そこでどう考えるか

あなたはどう対処していますか
ここで読んでいる人は誰しも経験があるのではないでしょうか。

松下電器の創設者の松下幸之助さんは考えました

    『見方を変える』              
               

富士山は西からでも東からでも登れる。
西の道が悪ければ東から登ればよい。東が険しければ西から登ればよい。
道はいくつもある。時と場合に応じて、自在に道を変えればよいのである。

1つの道に執着すれば無理が出る。無理を通そうとすると行きづまる。
動かない山を動かそうとするとするからである。
そんなときは、山はそのままに身軽に自分の身体を動かせば、
またそこに新しい道がひらけてくる。

何事も行きづまれば、まず自分のものの見方を変えることである。
案外、人は無意識の中にも1つの見方に執して、他の見方のあることを
忘れがちである。
そして行きづまったと言う。行きづまらないまでも無理をしている。
貧困はこんなところから生まれる。

われわれはもっと自在でありたい。自在にものの見方を変える心の広さ
を持ちたい。何事も1つに執すれば言行公正を欠く。

深刻な顔をする前に、ちょっと視野を変えてみるがよい。
それで悪ければ、また見方を変えればよい。
そのうちに、本当に正しい道がわかってくる。模索の本当の意味はここにある。
そしてこれが出来る人には、行きづまりはない。

お互いにこの気持ちで、繁栄の道を探ってみたいものである。

(松下幸之助著 『道をひらく』より抜粋)

又1つ

一本指を立て上にかざし右回りに回転させる
そのまま下げてきて自分の目の前で回転させてみると
左回りに見える!!!

下からのぞき込んで見れば右回り

上から見れば左回り。

「なるほど」見方が変わるだけで

行動が「変わる」

あなたにも必ずあるはずです

「小さなこと」人から言わせればそうですが
自分には「大きな事」なんです。

それが、陽炎のように自分につきまとう
楽しいことをしても、旅行に出て気分転換していても
どこにいても、その陽炎はあなたから離れない。

「どうすればいいのだろう」
考えても答えは出てきません。

1つ言えることは

「あなたが変わるしかないということです」

今日魚屋さんで元気のいいおじさんに会った
「生き生きしていた」

新鮮な物を扱っていると自分も生き生きしてくるのかな
と感じた。


変われると信じて明日を生きよう

今日もありがとうございます。