木花咲耶姫と磐長姫の伝言-51「幸魂・奇魂」 | 「彩どり師の仕業」今様の巫女的生き方の心得指南いたします

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人生の彩どり師・関みゆ紀です。



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木花咲耶姫と磐長姫の伝言-50「二頭の龍」より続いております。







龍の玉の「幸」「
奇」それぞれの文字。

出雲の唱詞に、

幸魂 奇魂 守給 幸給 

さきみたま 
くしみたま 
まもりたまえ 
さきはらいたまえ


というのがあります。



出雲大社東京分祠・コラムコラム その四六(『大神さまから戴いた日々』より)~「国づくり神話の教え」~

2013年の伊勢と出雲のダブル遷宮の時に撮影したものです。



大国主命が国造りの途中で、

最大の協力者である少彦名命を亡くし、

海辺で悩んでいました。

すると、キラキラと光る海から突然神様が現れて、

こう言います。



我は汝の幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)なり



この時に、大国主命は、自分の内側には、

神様から賜った幸魂と奇魂が存在していて、

自分一人で成し遂げているのではないということを自覚した

というお話です。



う~ん。とういうことは、既に人間は神様なんですよね。

自分の内側には、生まれた時から

幸魂と奇魂が備わっているということなのだから。



だから、私たちは神宿る生宮ということでもあります。



幸魂の、「幸」(さき)は、

「咲き」や「裂き」であり、枝分かれし、

分裂し、増殖や伸び、「豊」かになることを表しています。

展開することですよね。

開き、であり、解き、です。



奇魂の、「奇」(くし)は、「串」や「櫛」であり、

髪を梳いて束ねたり纏めたり、複数の物を一つに纏めることで

「整え」や「統一」を表しています。

結び、であり、纏まり、です。



幸=玉前神社 玉依姫 姉・豊玉姫 開き

奇=六所神社 奇稲田姫 櫛稲田姫 結び



それが、この図の東西に記してあることです。







能登半島と房総半島が持っている龍の玉(沖縄)のことです。







今年の2月5日魔女っ子メンバーと玉前神社へ訪れた時、

これが目に入りました。







玉(たま)の前(さき)の神社で、

幸玉=幸魂(さきみたま)を観たのです。



この時の私は、幸魂も奇魂の存在も知りませんでした。



でも、姉・豊玉姫 妹・玉依姫の玉繋がりと、

この写真の玉が妙に頭にこびりついて離れませんでした。



そして、一ヶ月後の3月10日にこのイメージを受け取ります。

調べてみると、すぐに六所神社のクシナダヒメに辿り着きました。







前日の3月9日に、まきちゃんが「クシナダヒメ」と受け取っていたので、

今度は、そこへ行けと、念押し・後押しをされたのです。



宇宙の為の39.05
宇宙の為の39.05 胸に託される



六所神社のクシナダヒメ=稲田姫・稲田姫を訪れた後、

なぜ、ここに呼ばれたのか調べているうちに

一霊四魂(和魂 荒魂 幸魂 奇魂 直霊)という

神道の概念があるということを知りました。



ああ、そうか、幸魂奇魂のことだったのかと

やっとこさ、氣が付いたんですね。



玉前(たまさき)とは、幸魂(さきみたま)

奇稲田姫(クシナダヒメ)とは、奇魂(くしみたま)

そういう暗号として知らせてきたのかと。



これね、神道の知識がある人とか、

神社が好きな人とか、そういう人だったら、

すぐにわかったはずなんですよね。



私もまきちゃんも、そういうの無い。

必要に駆られて、なぜなのかを調べてるだけ。

でも、自分たちの力でそこへ辿り着いて、

自分で腑に落として、その姿を見せていくことが、

大切なことのようだったのです。



でも、だから何?だったんです。



玉依姫(タマヨリヒメ)の配偶者は、ウガヤフキアエズノミコト

奇稲田姫(クシナダヒメ)の配偶者は、須佐之男命(スサノオノミコト)

わかっているのは、この二人の男神を

二人の女神が、一本立ちさせるサポートをしたということだけ。

それを伝えてもらいたいというのはわかるのですが、

何の手段を遣って、どういう説明の仕方をしていいのか、

糸と意図が、今一つ結び付かなかったのです。



神話は、隠喩やメタファーだから、

神話自体を、そのまま鵜呑みにするわけにもいきません。

令和の時代に突入した女性たちに、

これからの在り方をどう伝えたらよいのか。



でも、見えないチームには伝えたいことが確実にある。

でないと、こんな奇妙なやり方しないでしょう?



4月7日緊急事態宣言が発令される直前、

もう、ホントにギリギリのラインの4月6日に、

私とまきちゃんは、相模の國へ六所巡りに向かいました。

4月8日の日本武尊の命日までに行く必要があるようでした。

毎年開催している5月5日の国府祭が開催できないから、

代わりに私たちに繋いでほしい、

その意図をビシバシ感じていました。







3月20日の一時間前に、妙見様から左胸に何かを託されており、

どうやら、それを運んで置いてくる必要があるようでした。

一番最初の六所神社で受け渡しができたなって思ったら、

今度は、そこでまた左胸に何かを託されたのです。



木花咲耶姫と磐長姫の伝言-52「玉前前鳥」に続く。



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