わらしべ長者で生きる。 | 「彩どり師の仕業」今様の巫女的生き方の心得指南いたします

お読みいただきありがとうございます。

人生の彩どり師・関みゆ紀です。



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今、私がずっと書いている

「木花咲耶姫と磐長姫の伝言」ですが、

何をやっているのかというと、

「過去・現在・未来」の点を繋いでいくことをやっています。

また、それによって、

これからの、ある、パートナーシップや女性の在り方を伝える、

が意図になっています。



それは、私自身や私と関わっている方々の

「現在・過去・未来」とリンクしてもいるようです。

私がそれを実況中継することで、インスパイアされ、

スイッチを押される方がいらっしゃるようなので。

また、「過去・現在・未来」の

光の当たらない、

重く沈んでいる何かが循環していくらしいのです。



私が書いたもので、重なる点がある人がいたり、

また、新たなる点に氣が付く人がいたりして、

それぞれが、中心となった、

見えない蜘蛛の巣のようなネットワークが

張り巡らされていくらしいです。







私が書くことによって、撒かれた種を受け取って、

それぞれがその種をどうするのかで、

それぞれの、ストーリーが展開していくらしいです。







私の繰り返しのパターンである

「それ、私のやること?」な怠慢傲慢が垣間見えると、

見えないチームからの叱咤激励が起こります。



不安や怖れから動かない私をわかってるからこそ、

それは起こっているので、愛ですわな。



見えないチームと共同創造することで、

相互作用でお互いが、

螺旋で一つ上がった、進化・深化・神化になるらしいんですね。



だから、そこを信頼して、

思い切って身を委ねてみる、力を抜くというのをやっています。

この現実で起きたことの責任は、私が回収するという意識の元で。



キリンジの歌に「非ゼロ和ゲーム」というのがあります。







私は、どちらかというと歌詞も意味も追わず、

音を聴いてるタイプなのですが、

「非ゼロ和ゲーム」というこの耳慣れない言葉が氣になって、

ネットで歌詞を調べてみたんですね。

本当に便利な世の中なものです。



非ゼロ和ゲーム
作詞 堀込高樹
作曲 堀込高樹
唄  KIRINJI

非ゼロ和ゲーム
耳慣れない妙な言葉は素敵なアイデア
非ゼロ和ゲームってそれ何?
愛の呪文さ君も唱えて

欲張りな奴は寂しがり
いつだって何かに怯えているよ
おかしなルールのおかしなゲーム
疲れるだけもうやめたい
一枚のピザ皆でシェアすれば
だれも泣かないそれがいいに決まっているよ

非ゼロ和ゲーム
耳慣れない 妙な言葉は素敵なアイデア
非ゼロ和ゲームってそれ何?
愛の呪文さ君も唱えて
ひ・ぜろ・わ・げーむ 調べろ
ひ・ぜろ・わ・げーむ ぐぐれよ
ひ・ぜろ・わ・げーむ 辞書見て
ひ・ぜろ・わ・げーむ わかんない

信じることから始めよう
お花畑って言わないで
情けは人の為ならず
生き延びる術それだけさ

一枚のピザだけじゃ足りないよ
皆で作ろう
知恵と愛とお金を持ちよって

非ゼロ和ゲーム
耳慣れない 妙な言葉は素敵なアイデア
非ゼロ和ゲームってそれ何?
愛の呪文さ君も唱えて
ひ・ぜろ・わ・げーむ 調べろ
ひ・ぜろ・わ・げーむ ぐぐれよ
ひ・ぜろ・わ・げーむ 辞書見て
ひ・ぜろ・わ・げーむ わかんない

利他的に利他的に利他的に利他的であれ

非ゼロ和ゲーム
耳慣れない 妙な言葉は素敵なアイデア
非ゼロ和ゲームってそれ何?
愛の呪文さ君も唱えて
ひ・ぜろ・わ・げーむ 調べろ
ひ・ぜろ・わ・げーむ ぐぐれよ
ひ・ぜろ・わ・げーむ 辞書見て
ひ・ぜろ・わ・げーむ わかんない



「ぐぐれよ」にまんまと乗せられて、

「非ゼロ和ゲーム」も、ぐぐりました(笑)



世の中は本当に便利になりました。

ネットで検索すれば、すぐに色んなことを調べることができます。

だから、すぐ、結果を得られるような錯覚に陥ります。



私は受け取ったキーワードを辿って、調べて、確かめて

というのをやっています。

自分で経験や体感したものが一番腑に落ちるから。



無知って、知らず知らずのうちに、

罪を犯してしまうんですね。

また、視野と世界を狭くする。

無知パワー全開で動き回っている私が言うのもなんですけどね。

だからこそ、知る、氣付く、わかるを繰り返します。



面倒くさいな、と思うものは、

大切なことだったりすることも多いのが人生です。



お手軽さだけ求め続けると、

自分で考える力と、自分で感じる力が、

退化していることに氣が付いたりします。



人生には、「唸る・卯成る」がついて回るものです。



私が今チャレンジしているのは、

わらしべ長者で生きる。です。



わらしべ長者とは、歩いていく先で、

渡されたものを交換していく話です。



そこの中には、「結果を追う」という感覚がありません。

軽く手放し、受け入れていったら、

そのポジションに辿り着いたという感覚です。



それができるのは、

私と伴走してくれている夫のお陰です。

但し、私は、人生はイーブンだと思っています。

義理と人情は、必要ですが、

行き過ぎると人を拘束する。

支配と依存を生み出しかねない。

私が夫を選んだのは、私の責任であり、

夫が私を選んだのは、夫の責任です。

夫が私の犠牲になることを望まないし、

また、逆も然りです。



また、わらしべ長者で生きる決意ができるのは、

私の今までの52年間を信頼しているからです。

泣いたり喚いたりしながらも、

何とかして、ここまで生きてきたから。



それが、大切な事実です。



何とかする自分と共に、七転八倒しながら進んできたから。

そして、そこには、

見えるチーム、見えないチームとの共同創造があるのです。



それは、皆同じです。

生きてきたし、生かされています。



自動的に、息してるしね。

これを生かされてると言わずして、何と言おうか。



石川県への旅は、私の「過去・現在・未来」を繋ぐ旅です。

夫と私を繋ぐ旅でもあります。



何も足さず、何も引かず、

来る者拒まず、去る者追わず、

今の最善。



「中今」で楽しんでまいります。





🌟当ブログのアメンバー申請は「六感開華塾の塾生のみ」にて、ご了承のほどよろしくお願い申し上げます。



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