先日、今井悠介さんの『体験格差』を読んでモヤモヤしたと書きました。その記事はこちら。
その中の1つに『体験』というものの質というか捉え方があるのかもしれない。
保護者が子どもに提供できる『体験』は保護者の経済的な状況によるところが大きい。そういう意味では、体験格差=経済格差と言える。
また、保護者が提供する『体験』の中には子どもが自ら体験したいと思っているものばかりではないこともある。
自分がキッズクラブで提供していた『体験』でも、それが学校の勉強に近いもの、つまり教科学習臭が強いものほど、親の想いと子どもの想いのギャップが大きいと感じていた。
つまり、保護者はやらせたい、子どもはやりたくないという状況に陥る。この状況で子どもにそれをやれというのはどうかなと思ったりもします。
また、自然体験なども本当に遠くにいかないとできないか?と言ったら語弊があるかもしれないが、俗に言う自然豊かな地方の子どもたちも自然に触れ合う機会が減っているとも言われています。
要は自然の中に行けば良いだけではないようです。『体験』も提供の仕方も大切になってきていると思う。
総合的な学習の時間が学校教育に導入された時、『何か体験させれなければいけない』『体験させさえすればいい』という風潮があった。
それを揶揄して『総合学習は体験ばかりで学びなし』と言われた時代がありました。
公設民営の学童保育所などは、所得によっては利用料の減免措置もあります。そうしたところで、質の高い体験を提供できれば、今井さんの言っている『体験格差』を少しは縮められるのではないだろうか。
社会のセーフティネット、そこが公設民営の施設の在り方だと思う。