パート2からの続きです
母が亡くなってからの3日間はかなり私のオーラに入って、母は私の目を通して自分の葬式を見ていました。例えば、納棺式や火葬の時など、母は自分の姿を時々私を通して見たりするので、その感情が直接私に伝わるのです。
それを私は自分の感情とは違うものと捉えました。その頃、姉のところに母が行かないのは、姉が8歳と5歳の子たちに気がいっていて、忙しかったからでしょう。
そして火葬の時、何度かは5歳の姪っ子に母が入り、さっきまでゲラゲラ笑っていたのに急に表情が変わって泣き出したり。
母は自分の感情をわかってもらいたいのも大きいでしょう。自分の肉体が骨になっていくのを目の当たりにするのは複雑な思いだったのでしょう。
また、母が思い残していたことの中に、母がお世話になった近所の方、特に数人と最後のほうはうまくコミュニケーションが取れず、孤立してしまったことだったようです。
双方の誤解があったり、きちんと謝れなかったり、母の身体が思うように動かなくなった時にお世話になった時のお礼を言えないまま肉体を離れてしまったのですから、その想いを私と姉になんとかして欲しいと頼ってくるのは理解できました。
母はどうしても究極の状態にならないとヘルプが求められない性格だったのですが、亡くなってから私と姉には随分ヘルプを求めて私達を動かすのです。でもそうしないと、母自身もやり残したこと、悔いが残っているとなかなか浄化できないので、私たちのことも使ったのだと思います。同じグループの魂ですから協力し合うのも当然です。
20年近くお世話になった透析クリニックに挨拶に行き、先生や看護師さんたちにお礼を伝えました。
私と姉は横浜で生まれたのですが、それを機に、相模原に家を買ったので約50年そこに住み、とくに数件先の家族とは助け合ってというか、両親もお世話になったなったのですが、晩年は関係がギクシャクしてしまっていたのです。
母はそのご家族にも謝りたいと私と姉を導き、そこですっかり誤解をとき、和解することができました。ほとんどのことは誤解や思い込みですから、誰かの口を通して、本当はこう思っていたんだという気持ちを相手に伝えれば、聞いた相手はそうだったのかと納得できるものだと思います。
こうやって、母が思い残したこと、謝りたかった人やお礼を言いたかった人に、多少なりとも母の気持ちを伝えることができました。
その日の夜は大変でした。今までも何度かはブログに書きましたが、セッション中でも、オーラが汚れている人(浄化が必要な人)と一緒にいると私は鼻水がでてきてしまうのですが、母のエネルギーがオーラに入っている私はすごいことになってしまいました。
なので私自身自分で録音した誘導瞑想を聞きながら寝ている時でもオーラがを浄化がすると、私もどんどん楽になっていきました。
翌日は、愛知で入院中の父に母の旅立ちを伝えるというミッションがあったので、母のためにも私たちは姉の家族が住む名古屋へ。
昨日を境に母のエネルギーもだいぶ軽くなりました。
車のなかで四十九日をいつにするかなど話していると yes のときは車の前を蝶々が横切るのです。「ウワァ、また蝶々が、、、じゃ、この日がいいんだね」など。(トータルで100匹は見たと思います。特に黒い蝶々と黒とグリーンの蝶々)
町田から名古屋へ、姉の運転で夕方には父の病院に到着。私たちは気が重ーい状態でしたが、母から、「お母さんのためにもあなたから伝えてちょうだい」という想いは私に伝わっていたので、母の死を父に伝えるしかないと覚悟を決めていました。ただ、自然の流れに任せて話すつもりでした。
まず、姪っ子が「おじいちゃーん!」と走って駆け寄ると、父は半分体を起こして、「オーーーー!」と物凄く驚き、喜んだのです。私も「yokoだよー」とそばに寄ると、「おー、yokoかー。R子(姉)は3日に一度はきてくれていたのに、1週間も来ないから心配していたんだよ!」と、心からホッとした様子です。
「実はね、、、R子が来れなかったのは、お母さんの葬儀をしていたからなんだよ」と伝えると、父は「えーーーつ?」と目をむき出して驚き、「オレが退院したら、またお母さんと楽しく一緒に暮らして、そうすれば、あと2年くらいは一緒に生きれるかなーって、、、、、、」と悔しさと、悲しさとショックで大泣きです。初めて父が泣いた姿を見ました。
実際、父は糖尿で5年前に片足切断、目も20センチ目の前の物しか見えなくなるほど視力も悪化。しかももう一本の足も実は2ヶ月前に褥瘡から切断、しかもパーキンソンもあるので、幻覚や妄想もあるのです。
そんな状態で母とまた一緒に暮らすのは無理なのですが、父の中では、自分は働いて、母親ともう一度一緒に暮らすという目標があったのです。
そして父は「お母さんはね、歳をとるごとにかわいくなっていったんだぞ。こないだはベッドの横にある椅子に座って、おかあさんと話したら、お母さんは最近お弁当ばかり食べてるっていうから、オレがメシを作ってやるっていったら、とびきりかわいい笑顔で笑ってたよ」などというのです。
母がいつ来たのか聞くと、「7月9日だよ。お母さんはね、むかしから綺麗だったけどね、一段と綺麗になって、輝いていたんだよ」というのです。
確かに7月9日に私が心の目で見たときも母は20歳以上若返って、綺麗な、そして元気な姿で出てきていましたから、父の前にも同じ姿で現れたのかもしれません。
母の死を告知した後に病院を去るのは苦しかったですが、「お父さん、美人の奥さんと50年以上いつも一緒にいれたこと、ありがたいと思うことにしよう。悔しかったり、後悔する想いがあったら、お母さんと出会えて、添い遂げられて良かったと思おうね」と私たちはいい聞かせました。
翌日、父の見舞いに姉と行った時は、父がもしかして母の死のことを忘れているかもしれないと思い、私たちから話題にしないでいると、母のことは何も父はいわず、妄想で、医者がボスになっていたり、お金が取られる話や、子供達が出てくる話、ボコボコにされる話などするので、母の話は忘れていたと思っていました。(パーキンソンによる妄想)
すると、その次の日は、ちゃんと母の死を認識していて、「お母さんも死んじゃったから、、、、」というので、私と姉は「やっぱり、覚えていたんだ、、、」と顔を見合わせました。
母の四十九日を父の誕生日の二日前に設定し、私も主人とくるからねと、5日目の最後のお見舞いにハグして私は東京にもどってきました。父にハグした時も母の存在を感じました。また父も泣いていました。
とにかく、この名古屋でのお見舞い5日間、姉がホテルでピックアップしてくれて、ランチに行く時、父の見舞いの時もずっと一緒にいました。
母が食べたいものを自然に注文したり、母がほしいものを買いました。ある日、母がピンクのユリの花を心の目で見せるので、飾って欲しいのかと思うと、姉がすでにピンクのユリの花を家に飾っていました。その日、姉がオシャレな洋食屋をネットで調べてくれて、入ってみると、ピンクのユリの花が飾ってありました。母がここでパスタを食べたかったのでしょう。
また私は自分で作ったピンクトルマリンのブレスレットをしていたのですが、姉と一緒にいる母が欲しがっているようで、急に姉にあげてしまったり。私の口が勝手に、「これ欲しい?あげるよ」といってしまうのです。そしてあげた後、「あ~、綺麗な石だったのにー、あげちゃった」みたいな。笑
以前、姉に頼まれて作ったオレンジムーンストーンのブレスレットも母が姉に会った時に、欲しがって、姉が母にあげてしまったそうです。
サービスエリアでランチした時も、普段私はラーメンは好んで食べないのですが、ラーメンにまっしぐら。母は透析で水分や塩分の量も限られていましたが、たまに弟がラーメン屋に連れていくと、喜んで食べていたそうです。
また蝶々のみならず、777、111、1111、星、神はキーワードで、姉が名古屋から町田に来る時に、事故渋滞で、町田インターではなく、厚木インターで降りると、偶然母の四十九日を予定している星谷寺の前を通ることになったり、過去数ヶ月777ばかり目にしていたことも思い出しました。
また、母の亡くなった1時1分の11もそうですが、火葬は11日の11時でした。
そして父の見舞いの帰りの車では、直後に何度か 3939 など、母がナンバープレートで感謝を伝えているのがわかりました。
そして私もテレビをつけるとダウンタウンの番組で「星」という時を書道で書く場面や、翌日テレビをつけるとhoshi7という占い師がインタビューを受けていたり、町田と名古屋はホテルでしたが、今いるairbnbで予約したところのマンションがの名前が「七つ星」だったりと、7月7日の七夕に亡くなった母が導いてくれているとしか思えないほど星を目にします。
私の守護霊もスター(Star)だし、同じソウルグループだからかもしれません。(スターに関する過去のブログ: 門番係の守護霊 あなたのための高次の存在からのサインは? 守護霊の正体が解明)
星という漢字をダウンタウンのその番組を見ているときに思ったのですが、日の下に生きるという漢字だったのですね。この次元で、太陽の下で、どんな状況であっても、毎日を精一杯生きることが何よりも大切なんだと再認識しました。
母には心からありがとう、お疲れ様といいたいです。
余談:最初の3日間は私のオーラに入っていることが多かった母はその後姉に移動。姉が運転中、「肩が痛い、特に左肩」というと、「それお母さん」とわたし。そして、姉が「なんかボーッとして集中できない。なんか涙が出てくる」というので、わたしは姉の運転中している車の中で、「事故ると困るから、ちょっと出ていってー。R子の家に一緒に行くのはいいけど、運転中は離れてねーー」と声に出して母に忠告していました。笑 そして、葬儀に来れなかった主人は、母の旅立ち後、毎日母へ愛と感謝の念を送ってくれているそうで、母に届いていかきいたら、ちゃんと届いていることを教えてくれました。