母を殺すか自分が死ぬか まで追い込まれたアラサーOLが「毒親から解放されて自分らしく生きたい…」と書き始めたブログへようこそ
”毒親育ち” "アダルトチルドレン" と自覚し、自分と向き合うことで
・自分を好きになれた
・「生まれてきてよかった」と思えた
・殺したいほど憎かった母親との関係も改善
という、夢のような現実を手にすることができました。
自身の経験、および学んできたことを生かし、
「自分を好きになりたい」
「自分の人生を生きたい」
という方に ”本当の自分を取り戻す方法” を主にマンツーマンでお伝えしています
FNN PRIME online 特集「毒親…悩ましい親子の距離感」
トラウマをどう乗り越えた?毒親育ちのカウンセラー語る“自分との向き合い方”
その他雑誌やweb媒体等、多くのメディアに取り上げていただいています
かつてわたしが母とのことにものすごく悩んでいたときのこと。
母と同じ血が流れていることを許せず、とにかく繋がりという繋がりを絶ってしまいたい と思っていました。
わたしには絶縁経験がありますが、
当時は絶縁するなんて本当に怖くて、勇気が出なくて、
ずるずると決意が延びていきそうでもありました…
勇気が出なくて、
自分で決めるのが怖くて、
どうなるかわからないことに責任を取ることが怖くて、
何度も
「朝起きたら状況が変わっていたらいいのに…」
と思ったことがありました。
情けなかったけど、
自分に自信がないから、
自分のことなのに自分で決められない。
おまけに
「誰か決めて…」
と責任転嫁のようなことさえも思っていた。
”決められない”
ことは、
当時のわたしの悩みの1つでもありました。
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このブログを読んでくださったいる方の中にも、
「うちもそう」
と思う方がいらっしゃると思いますが、
わたしの家(母と祖母)は、世間体を非常に気にする人でした。
わたしからみたら、
”外面がいい人たち”
で、
”外と家の中ではもう全く異なる家庭”
という印象だった。
だから、
「うちと同じように、人は人のことを悪くいうものだ。
表ではニコニコして、
裏ではわたしも何を言われているのかわからない」
と思って育ってきました。
このあたりのことは以前インスタライブ でも話させていただきましたが、
「家族だけなんだから!
余計なことは言うな!!」
とコンコンと聞かされてきました。
(その言う割に、本当に困った時に家族に助けてもらった と言う記憶はない。
食べるものも着るものも住まいもあったけど、わたしにとって家族は、助けてはくれないもの だった)
そんな、
決断することができない、
親のレールに乗っかって、自分の意志で決めるということを放棄してきたわたしが
絶縁を決め、
家を出るという、
一生で1番勇気を使ったんじゃないか
と当時思ったことを成し遂げたのは、
応援してくれた人がいたからでした。
”絶縁をする”
ということはご近所様にどう思われるのだろう…
「●●さんちのなほちゃん、縁切って出ていったらしいよ」
って言われるんだろうな…どうしよう…
と、
光のごとく噂が回る田舎育ちとしては恐ろしく思えたもの…
(田舎あるある、わかってくださる方、いらっしゃると思います)
その恐怖を乗り越えられたのは、
”発言小町”
での出会い、
そこで叱咤激励してくれた人たちに支えられたから でした↓
YOMIURI ONLUNE 発言小町「毒母(実母)が結婚を反対しています」
(このトピ主 nanaはわたしです)
この掲示板での出会いがあったから、今のわたしがいて、この掲示板があったから、《親子関係・生きづらさについて語るおはなし会》をやろうと思えた。
家を出て、
当時毒親だと思っていた母と、物理的な距離ができても、
”自分の心と向き合い、
精神的な自立、母との見えないへその緒を切って自分の手で自分の人生を生きていかなくては、
心から生きる喜びを感じられないんだ”
というのは、
悩みに悩んでいる当時はわからず、
この意味が心底わかったのは、自分と向き合った後でした。
<過去記事>
わたしがこのカウンセラーという仕事をする前にしていた仕事は法律事務職員だったのですが、
法的に縁を切る方法も調べてみたこともありました。
”分籍”
といって、字の如く籍を分けることはできるけれど、
当たり前ですが、わたしが望むようなバッサリすっぱりと親子の縁もなかったことにするということはやはりできず、
そのことがわかって激しく落ち込んだりしたこともありました。
絶縁した理由の1つに、
「このままでは母を殺めるか自分を殺すかになる…」
という気持ちが少しずつ芽生えてきていたことに恐怖をおぼえたから
というのがあるのですが、
縁も切って、きれいさっぱりしたかった。
それくらい、
わたしは母を憎んで憎んで憎んでいた。
そのころは、
「ずっと、こうやって悩んでいくんだ…
なんて不幸な家に生まれたんだろう…」
と思っていて、
「子どもができたら里帰りできないけど大丈夫だろうか」
とか
「子どもには親のことをなんて言おう?
亡くなったことにする?」
とか、
先のことを思っては悩んでいました。
そんな気持ちを吐露している8年前の記事は《こちら》
この記事を、今のわたしが読むと、
「誰が書いたんだろう…」
っていうくらい、
わたしの人格は変わってしまったけれど、
本当に人生って何があるかわからなくて、
自分としっかり向き合って、
過去を消化していく過程でたくさん泣いて、
そしてそのあと ”自分であること” という感動の涙を流すことも経験したら、
人生が本当に本当に大きく変わってしまった。
そしてそれは、
わたしだけでなく、
他にも多くの方が経験していることであり、
あなたも経験できることなのです。
「自分を変えたいけれど力がわいてこない…」
「このままじゃダメな気がしてるけど…」
というあなたに届けるメッセージ
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(ハハコラボ)
母娘関係研究所
代表 加藤なほ