"悔しさ"
というのは、本気でなにかを取り組んでいるからこそ感じられる気持ち。
わたしは、
悔しさ
をあまり感じたことがない人生を送ってきてた。
そのことに
"ちゃんと"
気づいたのは1年以内の話で、
あることがうまく伝わらなくて、悔しくて悔しくて泣いた日のことだった。
そのときわかった。
わたしは、とうの昔に本気で自分を生きることをやめちゃったから、諦めてしまっていたから、悔しさとは長いこと無縁だったんだ
って。
一生懸命がんばってる人だけが、悔しさと縁があるのかも
って。
傷つくのが嫌だったから、
失敗も嫌だった。
だから、わたしは本気になるのを早々に放棄したんだと思う。
それも子どもの頃に。
2月は、
"モヤモヤ"
を何度も何度も感じた月だった。
そのモヤモヤたちはどこか何か似ていて、
モヤモヤの先の気持ちは
"悔しさ"
に繋がることが多かった。
そして、
悔しさの中をさらに潜っていくとやっぱり
"自分の力の無さ"
にたどり着くものだった。
2月のノートや日記やら殴り書きには、
もやもやの中身(誰とどの場面でどうしていてどう思ったかの記録)と
悔しい悔しい
という言葉を書いてたことが多くて、
"ちゃんと感じてあげないと…"
と思っていたのだけど本当に忙しくて、
メモにだけ残して、
「時間ができたらちゃんとここをみないとな…」
って思ってた。
それがふと、
さっき見てたレペゼンのLINEライブがトリガーになってやってきた 笑
(笑 ってつけちゃったけど…)
ぽろぽろと涙とあふれ
だーだーと鼻水が垂れる。
2月に何度も味わった悔しさが
心の中に
体に
じわっと広がっていく。
そっかそっか、
こんなにもわたしは悔しかったんだね…
って、
涙をふきティッシュを鼻に突っ込んで自分の気持ちを抱きしめる。
で、
また原点に立ち返る。
明日もがんばろう
って、今日を完了する。
死にたい
消えたい
って、
何年も前、
毎晩お風呂で泣いていたのに、
仕事中わけもなく涙が溢れてトイレに駆け込んで泣いてた、自分のことしか考えてなかったわたしが
悔しくて悔しくて、
仕事を通して伝えたい思いがうまく伝えられなくて、自分の志、理想への道が遠くて涙を流すことが増えるなんて、
思いもよらなかった。
こういうことあんまりブログには書かないのだけど、この先また
"悔しさ"
を感じた未来の自分のための備忘録に…
感じきらないとやっぱりズルズル引くね。
完了大事。
自分の気持ち、ちゃんとわかってあげるのはやっぱり基本中の基本よ。
そんなことを思う夜☺︎
わたしが定義する "豊かさ" は、
"いろんな感情を味わうこと"
だからわたしは、順調にいろんな体験を通してこの定義した通りの
"豊かな人生"
を送っている。
そう、
うまくいっているんだ、
いつだって。
自分の定義した通りに。
はーすっきりしたー。
短時間できゅっとぎゅっと泣いたからよく寝れそう。
明日も大好きなこの仕事を通して働くぞ。
結局は、できることをやり続けるしかないもんな〜。