1年ぶりの母との再会レポ⑥ | 加藤なほ 「"毒親育ち" からの人生改革」

加藤なほ 「"毒親育ち" からの人生改革」

毒親育ち、アダルトチルドレン、恋愛依存(DV)などの実体験を元に、"わたし" を生きる方法を伝えています。
▶︎セッション実績…2013年〜 5000件以上
▶︎メディア…NHK(クローズアップ現代+/あさイチ他)/朝日新聞/他多数。
▶︎著書「ワタシの母は毒親でした。」

●1年ぶりの母との再会レポ⑥

毒親育ちのカウンセラー 加藤なほです。

毒親に悩む方へ、克服する方法についてアドバイスをしています。

 

リボンNHKあさイチ「母が重たい」 に取り上げていただきました
リボン朝日新聞に「おはなし会」について取り上げられました

 


>はじめましての方はこちらから


明日、実家に行ってきます。

その前に、


≫1年ぶりの母との再会レポ⑤

の続き。

これが最後です。



去年のお盆に実家に帰った時は、母の言う一言一言にイライラして、同じ部屋にいられず、思わず飛び出していたわたし。

今回は、自分の心にも変化があり、母の言葉に左右されない私ができあがりつつあったせいか、

同じ部屋にいることも、母と会話することもできている私がいました
が、

1つできないな と思ったのが、

母の目を、私は見ない ということでした。



この日の目標は、3つありました。

①法律事務の仕事をやめ、自分が悩んだことを活かして、こういった仕事をしているんだということを伝えること

②この仕事をしているのは、母とのことで悩んだおかげだから、ありがとうと結果今では思っているということを伝えること

③絶縁期間やこれまでの思いなどをお互い話す(できたらハグをする)

でした。


母を家から連れ出して、二人で話したかったんだけれど、

目を見れないし、連れ出そうとどこかいかない?ということすら、私はできないことに気づきました。


母を、誘えないの。

「話があるから、ちょっとカフェ(といってもど田舎だから全然ないのだけれど)いかない?」

っていう一言が、言えない。

目も見えない。

ただ母の話を聞いて、ふんふんと相槌を打ったり、自分の考えを言うことしか、できなかった。



前日前は、

①も②もできちゃうかな って思ってたけれど、思ったより、難しかった。

母を誘うことは、抵抗がある と思っている私 ちびなほがいました。

こんなにわたしの中のちびなほが抵抗しているのか ということに気づいたとき、

「あぁ、思ったより、私はいっぱい傷ついてきたんだ、きっと。

そう簡単には、いかないのか。

今は、今日ここにきて、同じ空間にいて、冷静に会話ができることを、褒めてあげることだな…」

って思いました。



母と二人で、これまでの話をして、お互いどう思ってたかを話したいと思っていたけれど、

もう少し先かもしれない と思いました。

目標が達成できなかった自分を許し、

焦らずゆっくりといけばいい、

今回ここに来れた自分をほめてあげればいい

に切り替え、

私は母の日兼誕生日プレゼントを母に渡して、今日は帰ろうと思いました。



数年ぶりに母に用意したプレゼント。

あえて、母の好みではなさそうな、私の好みでつくったゆのみと急須↓
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母がどんな反応をするのか、これまた実験したくて、母が好まなそうな柄でつくったもの。



「はい、プレゼント」

というと、母は、

「なに?誕生日?」

ととてもうれしそうに包みをあけました。


そして、

「ま~♡」

と一言。


「わたしがつくったんだよ」

というと、

「まあ!ねーちゃん(私のことをこう呼ぶときがある)がつくったの?おばあさん(母の実の母)みて~!なほがつくったんだってこれ!」

とうれしそうに、祖母に見せていました。
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「どうやってつくったの?」

と言いながら急須を抱えている母。

ピンクじゃないけど、気に入ったらしい。


どんな反応するかと思ったけれど、母はめっちゃうれしそうでした。

「おじいに見せる!」

と、祖父が眠る仏壇にあげにいっていました。

(母も祖母も信仰心が強くって…)



喜んでもらえて、よかった。



母が喜んでくれる顔が見たくて、私は保育園の頃から毎年欠かさず、母の日、母の誕生日は欠かさずプレゼントを送ってきたことを思い出しました。

母だけでなく、父にも、そして、同居する、祖父、祖母にも…

ただただ、母に、家族に、

喜んでもらいたくて、

喜んでいる顔が見たくて…


あまりにも怒っている顔(私に対して)や、幸せそうじゃない顔ばかり見てきたから、

余計とその思いは強かったのかもしれない。



これは私の自論ですが、

親が子を思う気持ちよりも、子が親を思う気持ちの方が大きいと思うんです。

それは、

「なほちゃんまだ親じゃないからだよ」

って言われたら、

「そうかもしれません、ごめんなしゃい」と謝るしかないけれど、

でも、

私はそう思うのです…



先日、映画「かみさまとのやくそく」を見てきたのですが

子どもたちはみな、「お母さんを喜ばせるために生まれてきた」って言っていました。

それを聞くと余計、やっぱり、

「親が子を思う気持ちよりも、子が親を思う気持ちの方が大きいのでは」

と思うのです。



お母さんが毎日笑っていたら、

お母さんが幸せそうだったら、

わたしたちは毒親だとか、アダルトチルドレンだとか、悩んでいなかったように思う。

私たちは、お母さんに笑ってほしくて、幸せにしていてほしくて、

一生懸命がんばってきたんじゃないかな と思う。

その思いが届かず、分かり合えず、

その思いが強すぎると恨みになったり…



キレまくり、ぶっ殺すか、自分が死ぬかくらいまで恨む経験をしてきた私は、

「もう、いい娘はやめてもいい。

お母さんのためにがんばらなくてもいい。

もう十分頑張ってきたよ。

これまでずっと、しんどかったね。

今とってもつらいと思うけど、気づいてよかったね。

これからは、自分のために、生きていっていいよ。

自分の幸せを、優先していいよ。

自分次第で幸せになれます」

と伝えることが、私のお仕事だと思っています。





母と逢うという大仕事(笑)を終え、その足ですぐ髪をばっさりショートまで切ってきました。

(って今から1か月も前の写真だけど)
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二十歳のときからお世話になっている青木さん^^

BLANCOを独立され、エリールスという美容院を立ち上げました^^(名駅すぐ)


私の絶縁のことも、今の仕事のことも、新聞のことも、あさイチのことも、全部知っている方。

というのは、

青木さんは、一度も私のことを否定も批判もせずに、ひたすら話を聞いていてくれた人だったから。


母ともめる前、7年くらい前かな。

髪型に悩み、美容院に行くたびことごとく失敗しては帰ってくる母を、

青木さんなら大丈夫とBLANCOに連れて行ったことがあります。

そんなことをこの日思い出し、青木さんに、

「前、青木さんに母の髪を切ってほしくて、母を連れてBLANCOいきましたよね。

あのときみたいに、今度はこのエリールスに、母を連れて二人でまた青木さんのところに来れるかもしれない^^

そんな日が、くるかも、いつか」

っていうと、

「それはステキですね」

といってくれた青木さん。


そんな日が、そのうちくるかもしれないな…



明日は、この仕事をしていることだけでも、母に伝えられるといいな。





 

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加藤なほ