かゆみはサイン?話を聞いてもらったら治った!!! | 加藤なほ 「"毒親育ち" からの人生改革」

加藤なほ 「"毒親育ち" からの人生改革」

毒親育ち、アダルトチルドレン、恋愛依存(DV)などの実体験を元に、"わたし" を生きる方法を伝えています。
▶︎セッション実績…2013年〜 5000件以上
▶︎メディア…NHK(クローズアップ現代+/あさイチ他)/朝日新聞/他多数。
▶︎著書「ワタシの母は毒親でした。」

毒親に悩んでいる方・実母のことを「嫌い、憎い」と思ってしまう方のためのカウンセラー 加藤菜々です^^

 

 

 

 

今日は体からのサインの話について。

 

 

 

あれは、当時付き合っていた彼からのDVが始まって、3ヶ月くらいたった時かなぁ・・・

 

《DVについてはこちら》

 

 

 

首にね、ぽつぽつ赤い湿疹ができたの。

 

 

 

その時期冬だったから、蚊じゃないだろうし、なんだろう?って思っていたの。

 

 

 

とってもかゆくて、かきまくっていたら、蚊に刺されてかいたあとのように、赤くなった。

 

 

 

それを見たDV彼氏は、「他の男にキスマークをつけられた」って言い始めて、大騒動になったのね。

 

 

 

・・・どこまでも妄想して、妄想で私に怒りをぶつけてきて、殴る・ける・言葉の暴力をふるうっていう人だった。

 

 


その湿疹はその後どんどん悪化していったんだけど、その頃の私は、DV彼氏にいつか殺されると思って、DVから逃れるべく実家に帰ったの。

 

 

 

私が初めて手にした自由、私の大好きな空間だった一人暮らし。

 

 

 

それを手放さないと、私はいつか死んでしまうと思った。

 

 

 

心はすでに死んじゃってたから・・・

 

 


実家に帰ってもね、湿疹は悪化するばかりだった。



皮膚科に行っても、「虫じゃない?ダニとか」といわれるだけ。

 

 

 

でも家族でかゆいのは私だけ。

 


 

皮膚がぼろぼろになっていくのを見て、不憫に思ったおばあは、

 

防虫剤をまいてくれたり、晴れの日は毎日布団を干し(これは実家の習慣だから私のためってわけでもないけど)、私が寝ていた和室のたたみまで変えてくれた。

 

 

 

あ、母は何もしません。

 

 

 

「なんだろね~」と無関心。

さすがでしょ(笑)

 

 


肌を露出する夏になるころ、私の手足は真っ赤になってた。

 



かゆくて我慢が出来ない。

 

 

 

寝ていても我慢ができない。

 



まったく寝れない。

 

 

 

熟睡もできず、仕事にいくんだけど、通勤中だってめっちゃかゆいし、仕事中も無意識にかいてしまって、気付けいたるところから出血。

 

 

 

それを見た先生(予備校に勤めてたので先生に囲まれてました^^)方が、「血が出てるけど大丈夫!?」と驚くのを聞いて、血が出ているのに気付き、「あぁ・・・またやっちゃった・・・」と反省する日々。



夜、お風呂に入るときが一番つらかった・・・

 

 

 

服を脱いで、鏡を見るとね、私の首と手と足は(肩から手首まで、ももからくるぶしまで)ぼろぼろだった・・・

 

 

 

かゆくて、止められないからかいて、血が出て、かさぶたができて、しみになって、私の肌はしみと傷と赤みだらけだった・・・

 

 


「なんで・・・?なんで・・・」って毎日泣いてた。



「こんな体じゃ、もう誰とも付き合えない・・・」って、お風呂で一人で泣いてた。

 

 

 

でも、かゆみは止まらないから、しみになっても、また新しく湿疹ができて、かゆくて、かいて の繰り返し。

 



肌はきれいな方だったから、鏡の前に写る自分の姿は耐えられなかった・・・

 


 

病院も2つ回ったけど、虫としか言われず、薬も全然効果がなかった。

 



手や足をだすのが、本当につらかった・・・

 



人前にいくのも、怖くなった。

 

 

 

3つ目の病院に言った頃、かゆくなり始めてから1年がたってたんだけど、その皮膚科の先生は笑顔だったの。

 

 

 

「うーん、ストレスかなぁ?仕事、大変なの?」

って、話を少し、聞いてくれた。

 

 

 

DVのことなんて話せなかったから、仕事が忙しいってことにしたんだけど、なぜかね、その先生のところに行くようになってから、少しずつよくなっていったの。

 

 

 

薬の相性もよかったのか、少しずつ引いていったの。

 


 

今ではね、あの時のしみだらけの手足がうそのよう。

 

 

 

きれいに、消えたの。

 

 

 

 

 


今思うと、あの時先生が話を聞いてくれたのがよかったのかなぁ?

 

 

 

最初に行った2つの病院の先生の顔はまったく覚えてないけど、最後にいった先生の顔ははっきり思いだせる。

 

 

 

笑顔なの^^

 

 

 

先生、ありがとう。


 

 

人は、つらいとき、誰かに寄り添ってほしいんだよねきっと。

 

 

 

おばあがいろいろやってくれたのはうれしかったけど、本当は私、先生みたいに話を聞いてくれる人がほしかったのかもしれない って今では思う。

 

 

 

きっと、私の湿疹は、私にいろんなことを教えるために発症したものなんだろうな。

 

 

 

 


前も書いたけど、人は苦しいことがあると、それを乗り越えた時、たくさんのものを手に入れることができると思うの。

 

 

 

私の場合は、この湿疹もそうだけど、アダルトチルドレンとか、機能不全家庭育ちとか、DVとか、共依存ばっかりの恋愛とか、いろいろつらいこといっぱいあった。

 

 

 

けど、つらいことが多かった分、私は優しくなれたんだと思う。



こうしてブログを書いて、人とつながれたんだ って思う。



そう思うと、私の人生、これでよかったのかな^^って受け入れられる^^






読んでくださって、ありがとう^^
菜々

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