共依存 -愛と支配- | 加藤なほ 「"毒親育ち" からの人生改革」

加藤なほ 「"毒親育ち" からの人生改革」

毒親育ち、アダルトチルドレン、恋愛依存(DV)などの実体験を元に、"わたし" を生きる方法を伝えています。
▶︎セッション実績…2013年〜 5000件以上
▶︎メディア…NHK(クローズアップ現代+/あさイチ他)/朝日新聞/他多数。
▶︎著書「ワタシの母は毒親でした。」

DV経験ありのカウンセラー 加藤菜々です^^
 

 

 

《逃げないんじゃなくて、逃げられなくなる・・・》という記事に、 「それは姉です」

 

というコメントをもらいました。

 

 

今、姉が「逃げないのではなく、逃げられなくなる。」この状況です。


分っているのに抜け出せない・・・。


「お母さん嫌い!でも、私がいないと・・・。」


本人は違うと思っているようですが、私から見れば共依存だと思っています。


(プロではないのでそう思ってるだけですが・・・。)

 

 

私は、自分で勝手に「カウンセラーです」なんて言ってるだけだから、プロではないけど、

 

 

 

このコメントを見る限り、私も「お姉さんは、お母さんと共依存にあるのかなぁ・・・」と思ってしまいました。

 

 

 

信田さよ子さんの本、「《夫婦の関係を見て子は育つ ―親として、これだけは知っておきたいこと》 」を久しぶりに読んでるよって書いたけど、

共依存についても書いてあるから、ちょっと引用しますね^^

 

 

 

愛情とは、与える側と受ける側の双方にあって成り立つのです。


受ける側がそれを苦痛や拘束と感じれば、それは愛情ではなく支配なのです


おまけにその支配は、受ける側の自尊心を奪い、抵抗不能に陥らせるしかないのです。


共依存とは、困らせたり、心配をかけたりする人を、世話をし面倒を見たりすることで支配すること


日本の常識から見て、それほどおかしなことではありません。


むしろ、「愛情」と呼ばれることも多いのです。


見捨てるのは、愛情を断つこと です。



どうでもいいと思うことです。


でも、手を放すとは、愛情を持って見守り、そして待つことなのです。


手を放すということは、その人への信頼がないとできません


それはその人が「自分で生きる力を持っている」ことへの信頼なのです


手を放すことは、その人の生きる力を蘇らせることなのです

 

信田さよ子著 「夫婦の関係を見て子は育つ ―親として、これだけは知っておきたいこと」より引用


 

 

胸に、きますね・・・



みなさん、どう思われたかな。

 

 

共依存のこと、なんとなーく知っていたけど、、

 



こうして本を読み直し、書き出すと、いろいろ考えさせられるなぁと思った私です。



受ける側がそれを苦痛や拘束と感じれば、それは愛情ではなく支配



これは、DVの時の私の状態。



私は暴力を受けても、それがこの人の愛だと、とんでもない勘違いをしていました。

 

 

 


手を放すとは、愛情を持って見守り、そして待つは、私の母ができないこと。



そして、私もまだ、充分にできていないこと・・・
夫に・・・

 


 


ある先生がいっていました。

 

「愛とは信頼なのよ」

 

って。



「信頼していないから、心配したり不安が出てくるのよ」

 

って。




アダルトチルドレンだったり、機能不全家庭育ちの私たちは、「信頼する」って、ちょこっと難しいことだったりする。

そもそも私は、自分すら信頼&信用できてなかったし・・・

 

 

 

だって、苦しい関係は、愛じゃないんだよね。

 

 

 

苦しい関係は、支配なんだよね。

 



信頼することって、なかなかできないかもしれない。

 

 

 

私もまだ完ぺきじゃない。

 

 

 

相談者様のことは、なぜか100パー信頼し、信用してる。

 

 

 

けど、身近な夫に対してはまだ100パーとは言い切れない。

 


 

信頼できるようになると、本当の愛を知れる気がする。

 

 

 

本当の愛の世界って、あったかい優しさに包まれてる気がする。

 

 

 

私もそういう世界にいきたいな。

 



そういう世界の人と、一緒にいたいな。

 

 

だからね、私はまだまだ自分を変えるんだ^^

 

 

 

旦那さんよりも先に、愛の世界にいって、旦那さんを迎え入れるんだ^^



だから私は、ただ今進化まっ最中^^



一緒に進化していけたらいいね^^

 


 

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