最近は「異世界転生モノ」に並んで「溺愛」というジャンルが大流行りです。
「異世界転生」は現実では冴えない主人公が事故か何かで死んで、神の計らいで異世界に転生し、前世の記憶を保持しながら様々な能力や知識を持って無双できる、、、っていうのが大枠での筋です。
「溺愛」は現実では親に愛されず学校や会社で辛い思いをしている女性が、ある日突然素敵で超人な男性が現れて、彼に(なぜか)めちゃくちゃ愛されるようになることから話が始まります。その後も何やかやありつつも、主人公はその男性に溺愛され続けます。
特に回心とか鍛錬なしで、自分の望みが全部叶う極楽浄土のような世界に移動できるファンタジーです。
この対極にあると僕が理解しているのが、現代においては映画やドラマやRPGなどに表象される神話です。
主人公が苦悩や命がけの挑戦の後に、宿敵を倒したり、回心したり、約束の地を見つけたりします。そのことによって世界や共同体を救います。
特に最近だとMadMaxフュリオサとフューリーロードがそれに当たるでしょう。
このブログの多くのインテリ層や成功者の皆さんは、どちらかというと後者の神話に馴染んで、前者の流行りの「転生」や「溺愛」といったコンテンツを一笑に付すかもしれません。
ただ歴史を振り返ると「転生」も「溺愛」も、人類が古来より狂おしく求めていたことがわかります。
輪廻転成の思想は古代インドの時代からありますし、溺愛を極楽浄土と言い換えるのならば、その思想は阿弥陀信仰や西方思想として古来より存在します。
地獄みたいな現実世界を生きている当時の多くの人々にとって、それらは切なる願いでした。
そして遡ればそのような思想に行き当たる「異世界転生」や「溺愛」に耽溺している現代の人々は、今が地獄のように感じているのかもしれません。(もちろんこれについてはさらに議論が必要ですが、今回は論を先に進めます。)
正直その気持ちはわかります。ですが、気功師・ヒーラーとしては別の考えも持ちます。
すなわち、気功を通じて「異世界転生」はもちろん、「溺愛」も実現できるということです。
「異世界転生」はすでに本家でコンテンツになっていますし(※1)、「溺愛」も無条件に愛されることと定義するならば、それは気功を通じて実装可能です。
前者の異世界転生については本家のブログを参照していただくとして、このブログでは「溺愛」について論を展開していきます。
「溺愛」されるとしたら、誰に?
溺愛系の小説や漫画のような、イケメン男性(や美女)に?
それができればいいですが、現実には難しいでしょう。僕を含めて誰もが不完全な人間ですし、自分の思うようにいつも愛してくれるとは限りません。人はみんな気分屋でそのときどきの情動で振る舞うものです。
もちろんT理論や気功でもラポールやハイパーラポールの技術はありますが(※2)、それらの裏側にはいつもネガティブラポールがついて回ります。
愛の反対は憎しみではなく無関心です。すなわち愛と憎しみはコインの裏表です。(※3)
じゃあ誰なら無条件に愛してくれるのでしょう?
それはやはり、イエス・キリストが説いた神でしょう。
「えー、宗教かよ」と思われるかもしれませんが、まあこのまま話を続けさせてください。
旧約の神は妬む神でしたが、イエスを通じて新約においては無条件に愛してくれる神となります。(※4)
キリスト教を信じる信じないに関わらず、その神様が自分にもいると設定しましょう。もちろん隣人にも皆それぞれ自分の神様がいます。(※5)
ただそれだけではピンとこないので、やはり本家の気功技術を使います。「遮那」や「アリス式大周天」といった自分の情報身体を大きくする気功技術を使い、それによるリラックスや安心感を感じましょう。
そのように現状の自分よりも偉大な存在(神)に包まれ守られている感覚を掴んだら、「アジュナの光」を日々鍛錬し、その神がもたらしてくれる様々な予兆やメッセージ、ゴールを掴めるようになりましょう。
そのように心と身体を癒し、未来を切り開いていくことで、自分が神に無条件に愛されていることを自覚します。
そしてそのように自分が神に無条件に愛されていることを自覚し、次のゴールや未来を目指してグイグイいきましょう。
またある程度したら、今度は今の自分が神として、過去の自分に対して、癒しのメッセージや気功をガンガン送ってあげましょう。それが過去の自分を癒し、そしてその癒しは現状の自分に大きくフィードバックされヒーリングをもたらします。
その一連の流れをパッケージ化したものが、タイムマシンヒーリング、略してTMヒーリングです。
今回はなんとその体験版の音声を、希望する方に無償で配布しようと思います!!
先に体験版をモニターしてくれたメンバーからは、以下のフィードバックをいただきましたので、本人の快諾を得て、紹介します!!
昨晩は帰宅が遅く、軽くシャワーを浴びてすぐにベッドに入ったのち、音源を聞きました。
疲労感もあったのですが、導入のリラクゼーションの部分で、熱と美肌、花見酒の部分でもかなり脱力ができました。
また、音声全体を通じて、淡々とした先生の声からそのバックグラウンドにあるロジックの雰囲気のようなものが伝わってきて、聴いているだけで自分を包む空気が緻密になっていきます。
そして今朝、目が覚めた時の感覚から爽やかでした。睡眠時間が短かったので、もう少し眠りたい感じもありましたが、外見もどこか垢抜けた雰囲気です。
また、昨晩あった身体のだるさ、疲労感、蟲、洗脳、と心身にこべりついていたものがズルッと剥がれた落ちたような感覚があって、今朝シャワーを浴びてから髪を乾かしている間、ヒーリングとはロゴス、なんだなということがふと腑に落ちました。
また今夜も音声を聴いて、フィードバックを取って行きます。以上です!
タイムマシンヒーリング音声の流れとしては、
①気功技術「熱」「美肌クリーム」「花見酒」によるリラクゼーションの誘導
②タイムラインを引いて0歳の自分に今の気功技術によるヒーリングの体感を伝える
となります。だいたい15分くらいの音声です。
夜静かに自分の時間と空間で聞いてもらえればと思います。逆に運転中とか入浴中は変性意識が深まり危ないので避けてください。
フィードバックに書いてくれてますが、あえてBGMとかはつけずに、淡々とした誘導音声にしてあります。今僕たちを取り巻く超刺激な世界から離れて、静かな臨場感空間で自分の心と身体と向き合い、自分のwant toを見つける機会にして欲しいと思います。
これを希望する方にGoogle Driveで配布します!はじめての方は以下の公式LINEアカウントから、過去にセッションやセミナーを受けてくれた受講生やクライアントの皆さんは個人LINEで直接配布希望の旨をお伝えいただければと思います!!
お問い合わせお待ちしております!!
また対面やオンラインのパーソナル・セッションではより具体的な人生の節目に対するタイムマシン・ヒーリングをガッツリやっていきましょう!!
そして自分を癒し、新たな身体や健康のゴールを設定し、それに突き進んでいきましょう!!
そのサポートと指導をガッツリ行っていきます!!
お申し込みお待ちしております!!!
【シン・TMダイエット・パーソナル・セッション】
【内容】パーソナル・セッション(+LINEによる体重とセルフィーと食事の記録管理)
【場所】 新宿の貸し会議室orオンライン
【受講料】
1年コース(12回セッション)360,000円/半年コース(6回セッション)180,000円/単発セッション30,000円
オンライン1年コース(12回セッション)240,000円/オンライン半年コース(6回セッション)/単発オンラインセッション20,000円
【受講資格】ブログ読者
【持ち物】 情熱とゴールと筆記用具
【お申し込み】お申し込みはこちらから
↑質問はこちらのLINE公式アカウントからいつでも歓迎です!!
【脚注】
(※1)
本家の異世界転生のコンテンツはおそらくこちらの記事が初出。
(※2)
ラポールって何かと言えば、吊り橋です。
吊り橋を渡るAさんとBさんがいて、渡っている最中はお互いに見知らぬ他人。
真ん中くらいまで来て、下を見下ろすと深い谷。
そこで、吊り橋をおもむろにゆらすCさんの存在。
ここで吊り橋がゆれるという臨場感を共有するAさんとBさんは、ある種の情動が発火します。
というか、生命の危機(ゆれていて怖いし、足を踏み外して落ちたら死んでしまう)ゆえに臨場感が急速に高まります。すると、AさんとBさんは臨場感を共有するがゆえに協力するなり、恐怖を分かち合うなり、仲良くなるなりします。
これがラポールです。
AさんとBさんが独立した人格で、自由意志を発揮して、お互いに仲良くなろうとしたり協力しようとしているのではなく(そう思うのは自由ですが)、Aさんは吊り橋に臨場感を持ち、Bさんも吊り橋に臨場感を持ち、たまたま同じ臨場感空間を共有した結果として、何らかの情動が起こります。これがラポール。
ポイントはAさんとBさんの関係ではないということです。
Aさんと吊り橋、Bさんと吊り橋。吊り橋が媒介となって(あまり適切な表現ではありませんが)、AさんとBさんに何らかの関係が生じるのです。
「臨場感空間がなくても、二人の関係は永遠なの」というおめでたい信仰を持つ人は(それはそれで自由ですが)、事実から目をそむけすぎかもしれません。
吊り橋を揺らされたら、揺らし返せ。もしくは飛び降りろ(愛の反対は無関心なのか?) 2013年02月19日(「まといのば」本家ブログより引用)
(※3)
またマザー・テレサが言うように、愛の対概念は怒りでも憎悪でも憤怒でもなく、無関心です。しかしこれは文学的表現です。
愛と無関心の間は連続的であり段階があります。
それを鮮やかな形で記述したのが、重要性関数という言い方です。自我は評価関数です。評価の大小を言えば重要性関数ということです。自分にとって重要なものが網の目の中心に近く、重要でないものが遠くあるイメージです。その網の目こそが吊り橋の網なのです。
ですから好悪の感情とはアンビバレンツと表現するのが正確かもしれません。好きなものは嫌いであり、嫌いなものは好きなのです。他はスコトーマに隠れて見えません。情動もまた両性具有であり、ヤヌスなのです。
吊り橋を揺らされたら、揺らし返せ。もしくは飛び降りろ(愛の反対は無関心なのか?) 2013年02月19日(「まといのば」本家ブログより引用)
(※4)
新約聖書は旧約聖書の理解が必要であり、旧約聖書は(キリスト教の文脈で読むならば)新約聖書が必要なのです。
旧約聖書と新約聖書は二匹のウロボロスの蛇のようにお互いが相手の尾を食みながら絡み合っています。
ただ旧約から新約へと神が移動したときに、大きな変化が起こります。
旧約の神は妬む神であり、そして契約の神でした。
新約の神は無条件の愛の神です。すなわち契約の破棄、契約によって愛を担保するのではなく、契約なしにも良きことをしてくださるのが新約聖書の神です。
天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。(マタイ5:45)
とすると、神は不要となるのです。
♬誰かを愛するとは神のそばにいること♬〜互いに愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし〜 2018年02月27日(「まといのば」本家ブログより引用)
(※5)
「神様はいますか?」と聞かれたら、私は「いますよ」と答えます。日本人の中には、「私は神様なんて信じていないよ」という人も多いでしょう。ここで言う神様とは、キリスト教におけるゴッドのような存在のみを指すわけではありません。自分の中に確固としてある価値観や判断基準もそれにあたります。その場合、自分の神様は「自分」となるわけです。とはいえ、自分の「神様」を信じると同時に、隣の人の神様のことも認めることが大切です。