本家でおなじみのファンクショナリズム(※1)が頭に入っていると、T理論の用語に対する理解も深まると思います。
そのファンクショナリズムで現代社会とその社会を生きる僕たちを記述すると、以下のようになります。
快 → f → 不快
です。
現代社会や経済がもたらす快適な生活に適応すればするほど、僕たちの心と身体は不快になります。
アディクションをもたらす加工食品、椅子に座り過ぎ、交通手段の発達による運動不足、刺激的なコンテンツなど、僕たちの報酬系を刺激したり生活や日常を快適にするものが、結果として僕たちの心と身体をダメにしているのが現実です。
これは今後さらに加速していくでしょうし、多くの人が目先の快を求めてどんどん劣化していくでしょう。
ただ僕の師匠はそこから逃れるためのアイデアもすでに提示してくれています。
それをファンクショナリズムで記述すると、
不快 → f → 快
ということになります。
この関数に基づいて、快適な現代社会にはない、あえて冷水シャワーやクンバカなどの不快なワークを取り入れることで、健康や心の平和といった快を僕たちは手に入れようとします。
TMダイエットで言えば、断食もこのファンクショナリズムで記述できます。
断食(不快) → f → 減量(快)
です。
このファンクショナリズムを踏まえると、不快なことでもwant toになり得るということがよくわかります。
僕も師匠からアドバイスをいただいて最近はひたすら烏口突起のマッサージ(※2)ばかりしているのですが、正直痛いですw繰り返しやっても痛いww
でもマッサージをすることで明らかに肩甲骨の可動域が広がり、肩が下がり息がしやすくなることがフィードバックされるので、痛いとわかっていてもつい手が動いてしまいます。
マゾなのかもしれませんが、痛み(不快)の先にある快楽を知っているので、自然と手が動きます。
それを踏まえてわかるのが、不快なことでもwant toになり得るということです。それを昔の人は鍛錬とか修行と呼んだのかもしれません。
なぜ不快かと言えば、理論的に言えばそれが現状の外だからです。
特に現代人は僕を含めて身体を動かさなくなっているので、烏口突起のワークは不快でしょう。なのでほとんどの人は知っていてもやりません。
でもその先に理想やゴールがあるなら、報酬系が刺激されそのワークはwant toに変わります。痛いとわかっていてもついついやってしまいます。
そしてそれはメンターやヒーラーと呼ばれる人たちからの指導や指摘でも同じです。
本家の定義(※3)によるとコーチはゴールの設定と更新のお手伝いをしエフィカシーを上げますが、コンテンツには関わりません。逆にメンターはコンテンツにガンガン関わり、励ましたり、時として警告したりします。
なのでメンターからの指摘や警告は時として僕たちを不快にします。しかし上述のファンクショナリズムのアイデアを受け入れるなら、その現状をゆらがす不快な指摘も、関数を通じて快になることがわかります。
メンタリングにおける快とはすなわち、ゴールの実現や更新です。
僕はライセンスもないのでコーチではありませんし、自らをメンターと自称できるほどの人間ではありませんが、それでも一応慕ってやってきてくれるのであれば、時に耳に痛い話でも受け入れて欲しいと思います。
ただ承認欲求くらいしか欲望がないと、それを受け入れることができないようですので(指摘されると「否定された!」と逆上)、やはり大きなゴールは大事です。
しかしそのゴール設定も時代の流れとともにますます困難になる今日この頃。(※4)
八方塞がりだなと思いますが、そういうときこそ縁起と空を前提にした汎化した神様(ハイヤーセルフ)にお願いしましょう。
「新しいゴールをください」
、と。
すると結構簡単にゴールを教えてくれたりします。正確にいうと、それまでずっと目の前にあって知ってはいたはずのものが、スコトーマを外れて飛び込んでくるようになります。
信じられないかもしれませんが、少なくとも僕はいくらかその経験をしています。「なんだ、はじめから知ってるじゃん」、と。
ダイエットや減量もそれと同じで、少なくともこのブログの読者の皆さんはそれを可能にする方法や知識をすでに知っているはずです。本家のブログも読んでいるでしょうし、紹介されている参考書籍も目を通しているでしょう。
あるいは気功技術だってもう全部持っているかもしれません。
だけど痩せてないし、あまり健康にもなっていない、、、
仮にそうだとしたら、生命素粒子理論を前提とした神様にお願いしてみましょう。身体や健康に関する新しいゴールをください、と。
そうすると神様は結構簡単にゴールをくれます。目の前にあることを教えてくれます。
そのゴールがスコトーマに隠れていた知識や方法論、気功技術を召喚し、僕たちをダイエットや健康の実現に自動的に掻き立てます。
それがTMダイエットで目指す無理せず頑張らず痩せるということです。T理論通り、ダイエットでも「努力はいらない」(※5)のです。
他力こそが、TMダイエットの真髄です。
パーソナルセッションでは理論に基づいた神様を含めた情報空間のガイドと、インスリン抵抗性を始めとしたダイエットや減量の実現のための理論のわかりやすい解説、そしてその理解を助け加速させる気功技術の伝授とワークを行います!
ダイエットや健康のゴールを叶え、それに乗じてバランスウィールに散らばるそのほかのゴールも全部叶えてさらに更新していきましょう!!
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【脚注】
(※1)
身体というファンクション(Functio:機能、関数)において、環境が快適になるほど、身体は不快になり(自己免疫疾患的なものが増え)、環境が過酷になればなるほど(程度問題ですが)、個人としての身体は快適に進化しがちです。
環境の快適さ ⇒ファンクション(肉体と精神)⇒ 個体の不快さ
となり、
環境の過酷さ(あなたを殺さない程度に) ⇒ファンクション(肉体と精神)⇒ 個体の快適さ、頑丈さ、Anti-Fragileさ、健康、元気
ということです。
これを科学の世界では古くから(そんな古くもないか)、ホメオスタシスと言いました。
サムライの呼吸についてインドヨーガの王から学びました!〜♫少しも寒くないわ♫ 2024年02月04日(「まといのば」本家ブログより引用)
(※2)
烏口突起を探してみましょう!
探し方はシンプルです。
まず肩に触れます。というか、上腕筋の骨頭、三角筋中部あたりに触れて、そこから肩峰へ行きます。
肩峰もまた肩甲骨ですが、そこから内側にナナメに切り込んでいくと烏口突起に触れられます。
この烏口突起は前から触れる肩甲骨です(^o^)
前から触れる肩甲骨??烏口突起で筋膜リリース、僧帽筋の完全な脱力、長い腕、長い首、美しい胸・背中 2019年12月31日(「まといのば」本家ブログより引用)
(※3)
コーチはゴール設定や更新のお手伝いをしたり、エフィカシーを上げるお手伝いをすることです。ただし、クライアントのゴールのコンテンツに関わりません。関われないようになっています。一方で、メンターはガンガン、コンテンツに関わります。知識を教え、考え方を教え、誘導し、励まし、警告します。
まといのば、コーチングやめるってよ。(映画『桐島、部活やめるってよ』風に) 2023年10月23日(「まといのば」本家ブログより引用)
(※4)
以前であれば、「ゴールは何?」と聞けば済んだものですが、今は「ゴールは、、、、特にありません」から始まります。セッションの話です。
ゴールを持っていて、その臨場感さえ上げれば、眼前の風景が変わり、スコトーマが外れます。
こちらは、その臨場感をより強化する情報を投げながら、相手の思考のパターンを少し改善していけば良いことでした。
思考のパターンというのは、自己批判的になりすぎたり、自滅的になったり、わざと複雑にしたり、シンプルに考えすぎたりという癖のようなものです。
ですが、ここ数年は、「ゴールは特にありません」という感じの方が増えています。むしろ明瞭なゴールがある人が希少種になってきました。そのゴールは別に言語化されていても、されていなくても構いません。明瞭に情報空間に(心の中に)あれば良いのです。そしてそれをメンターもクライアントも認識していれば良いのです(しばしばメンターが先に分かっていて、クライアントがあとに続く場合もあります。でも認識できずともクライアントさんは、その隠れたゴールに突き動かされて行動しています)
ゴールは漂白されつつあるのだと思います。理想の世界とか、それに向けた戦いというようなものは古いパラダイムなのでしょう。
僕自身はそれを豊かさゆえと思ってきましたが、茹でガエルのようにじっくりと貧困化が進んだところで、状況は変わらず、絶望感だけが広がっています。
ゴールが漂白され、情動が漂白される社会を先取るべく、まず解毒を進めブラック社会から卒業しよう! 2022年02月02日(「まといのば」本家ブログより引用)
(※5)
記事のタイトルは、オザケンの楽曲から!
羽田沖 街の灯が揺れる
東京に着くことが告げられると
甘美な曲が流れ
僕たちは しばし窓の外を見る
もしも 間違いに気がつくことがなかったのなら?
並行する世界の僕は
どこらへんで暮らしてるのかな
広げた地下鉄の地図を隅まで見てみるけど
神の手の中にあるのなら
その時々にできることは
宇宙の中で良いことを決意するくらい