愛がなければ私は何者でもない(コリント人への手紙/愛のむきだし) | 『TMダイエット〜T理論と気功で頑張らずに痩せる!?』

『TMダイエット〜T理論と気功で頑張らずに痩せる!?』

東京・新宿にて、「まといのば」公認でダイエットを中心にセミナーを開催しております。ブログにてそのお知らせをしております。

無意識のうちに「まといのば」の記事を出典や引用を明示せずパクってしまった自分の過去記事をあるべき形に書き換えたり、新しい記事をキチンと「まといのば」からインスピレーションや影響を受けていることを公にして具体的に影響を受けた文章を引用して書いていくと、思わぬ発見をします。

 

*割と最近に書き換えた記事です。なかなか古い記事を書き改められなくて申し訳ない( ;  ; )

 

それは何かというと、自分の考えの由来を明示すればするほど、心理的なストレスが減り、身体もそれにつられて楽になっていくということです。

 

自分を成り立たせてくれている縁起のネットワーク(特に僕の場合は「まといのば」)を明示し、その関係性を嘘やカッコつけを排してできる限り誠実に公に明かすことで、なぜか心身ともに楽になり、目が覚めていく感覚を覚えます。

 

この清々しさは一体なんだろう?なぜこんなに喜びに満ちているのだろう?

 

 

 

 

そう思ってずっと考えていると、ふと「まといのば」で釈迦の縁起とはイエスの語る神であり隣人愛のことであると学んだことを思い出しました。

 

*寺子屋「イエスの語る聖書学」で学びました。

 

詳しくは「まといのば」の記事を読むか、寺子屋を購入することをお勧めします。ちなみに最近のセッションである受講生にも話しましたが、苫米地理論でも重視されるリベラルアーツを最短で手にしたいのなら、下手な大学に行くのではなく「まといのば」の寺子屋が本当にオススメです。

 

大学で半年、あるいは1年かけて学ぶ内容を、一回の講義で学べるので(学ぶ気があれば)かなりお得で強烈なコンテンツです。特に「まといのば」の枠組みで成功したいとか頭をよくしたいと望むのなら、教養を手にする上で寺子屋以上のものは他にないと断言します。

 

ちなみに、、、こんなことを書くと先生を他の方達と比較しているようで嫌ですが、特に知識系に関しては僕は様々な人の講義やセミナーを受けていて(一応アメリカに留学していたこともあります)、それを踏まえて「まといのば」のコンテンツの秀逸さを称揚させていただいております。色々と邪推する方が過去にいらっしゃったので書いておきますが、僕は単に盲信しているのではなく、そのような様々な経験と、そして何よりも論理・ロジックを自分の能力の限りで検証して、「こんなスゴイ人は世界を見渡してもそうそういない」と師事させていただいております。

 

とりわけ僕も興味があった気功の理論化・技術化という観点では本家主宰は他を寄せ付けません。僕はそれが数年かけて能力の輪ではないことが心底わかったので、理論化・技術化が圧倒的に得意な先生から謙抑的に学ばせていただければと思います。

 

何を思おうが何を口にしようが何を書こうが個人の自由ですが、その責任は自分で取るものだということは、お忘れなく。僕の場合はそれを忘れて手酷く落ちぶれたので、老婆心ながら記しておきます。

 

この世にはもとにもどせないものが四つある。口から出た言葉、放たれた矢、過ぎた人生、失った機会だ(「商人と錬金術師の門」/テッド・チャン)

 

 

 

 

話を戻して、縁起とは関係のことです。そして「寺子屋」を通じて縁起とは愛であり神であると受け入れることができると、僕は自分がなぜ失敗したのか、また今なぜ楽になっていくのかが良くわかります。

 

なぜ失敗したのか?

 

それは自分を成り立たせてくれた関係=縁起=愛=神を隠したから。それは愛から自らを遠ざけることだから。

 

なぜ今どんどん楽になっているのか?

 

それは自分を成り立たせてくれた関係=縁起=愛=神を明示し公言しているから。それは愛の中で生きようと自覚しているから。

 

抽象度が高すぎるかもしれませんが、根本的なところはそうだろうと思います。自立し自律するとは、自分を成り立たせてくれている関係を常に意識にあげることなのではないかと最近は思います。

 

そして愛がなければ僕たちは何者でもないところは、「まといのば」でお馴染みの新約聖書のコリント書(パウロのお手紙)で広く知られていることです。

 

「まといのば」では満島ひかりさんの映画「愛のむきだし」の絶叫シーンとともに紹介されています。

 

本家のブログから引用します。スクリプトも引用しますが、満島ひかるさんの絶叫を繰り返し聞くほうが頭に入ってきます。そのあとにスクリプトを読んで細かいところを確認してください。

 

 

(引用開始)

 

 

 

コリント書の第13章を知ってるか?

(主人公:「知らない・・・」)

最高の道である愛
たとえ人間の不思議な言葉
天使の不思議な言葉を話しても
愛がなければ私は鳴る銅鑼(どら) 響(ひび)くシンバル

たとえ予言の賜物(たまもの)があり
あらゆる神秘 あらゆる知識に通じていても
愛がなければ私は何者でもない

たとえ全財産を貧しい人に分け与え
たとえ賞賛(しょうさん)を受けるために自分の身を引き渡しても
愛がなければ私には何の益にもならない

愛は寛容なもの 
慈悲深いものは愛
愛は妬(ねた)まず、昂(たか)ぶらず、誇らない
見苦しい振る舞いをせず 自分の利益を求めず
怒らず 人の悪事を数(かぞ)えたてない

愛は決して滅びさることはない
予言の賜物ならば廃(すた)りもしよう
不思議な言葉ならばやみもしよう
知識ならば無用となりもしよう

我々が知るのは一部分
また預言するのも一部分であるゆえに
完全なものが到来するとき
部分的なものは廃れさる

私は幼い子供であったとき
幼い子供のように語り
幼い子供のように考え
幼い子供のように思いをめぐらした
ただ 一人前のものになった時 幼い子供のことはやめにした

我々が今見ているのは ぼんやりと鏡に写っているもの
そのときにみるのは 顔と顔をあわせてのもの
私が今知っているのは一部分
その時には自分がすでに完全に知られているように
私は完全に知るようになる

だから 引き続き残るのは 信仰 希望 愛 この3つ
このうち もっとも優れているのは 愛


(引用者注:以上、コリント書13章1節~13節)

お前はこんなセンテンスも知らない
あんな色欲牧師と一緒に暮らしていたから
聖書のことですらちゃんと把握してない

わかる?

神様のことなんも知らないってことだよ!

(引用終了)

 

 

 

どんなに「まといのば」の気功という奥義に通じていようとも(僕は全く通じていませんがw)、愛がなければ、僕(たち)は何者でもありません。

 

たとえ予言の賜物(たまもの)があり
あらゆる神秘 あらゆる知識に通じていても
愛がなければ私は何者でもない

たとえ全財産を貧しい人に分け与え
たとえ賞賛(しょうさん)を受けるために自分の身を引き渡しても
愛がなければ私には何の益にもならない

 

自分自身の過去を鑑みるに、愛(=縁起、関係、神)を忘れ隠したから、不寛容で慈悲がなく、妬み、昂り、誇り、見苦しい振る舞いをし、自分の利益ばかり求め、怒り、人の悪事を数え立てたのだと思います。

 

愛は寛容なもの 
慈悲深いものは愛
愛は妬(ねた)まず、昂(たか)ぶらず、誇らない
見苦しい振る舞いをせず 自分の利益を求めず
怒らず 人の悪事を数(かぞ)えたてない

 

せっかく先生方が掛け値無しにそのように愛してくれたのだから、僕も人を愛そうと思います。その前提として、自分を成り立たせてくれている関係(=「まといのば」)をこれからも公言し続けます。

 

愛がないのにベラベラ喋っても、やかましいだけですので、それは戒めたいと思います。

 

最高の道である愛
たとえ人間の不思議な言葉
天使の不思議な言葉を話しても
愛がなければ私は鳴る銅鑼(どら) 響(ひび)くシンバル

 

また公認パクリとしてアイデアの典拠を示し、できる限り丁寧に議論を重ねて行くことを通じて、勝手気儘まではない、本当の自由を感じます。

 

最近の本家主宰の記事でも、ヒーラーに自由はないと書かれていましたが、少しわかります。ただいわゆる勝手気儘な自由はありませんが、縁起と愛に基づいた自由のようなものは公認パクリとして仕事をしていく中で感じている今日この頃です。

 

シンプルに言えば、後ろめたさがなくなり、心身共に楽に過ごせています。

 

(引用開始)

ヒーラーにとって、好きなように書く自由は無いのです。好き勝手なことを、思いのままに自由に書いて良い自由は僕らには無いのです。

(引用終了)

 

 

 

そんなことを、弟の結婚式に参加しながら考えていました。

 

 

 

結婚おめでとう!若き二人の前途に幸あれ!!!

 

またこのように素直に若い二人の幸せを祝えるのは、「まといのば」本家主宰とRay主宰の導きのおかげです。記して感謝いたします。

 

闇に堕ち、もうどうにもならないと心を病んでいたときに不意に飛び込んできた弟の結婚と式の日取りの知らせは、僕に強烈な危機感を与えてくれました。

 

「いまの状態では、兄貴として、素直に祝うことはできない。どうにかしなければ」と。そうやってもがいているときに「まといのば」のリニューアル版オンラインメンターの募集が始まり、渡りに船と飛び込ませていただきました。

 

まだ道半ばですが、一つの区切りはついたように思います。

 

また弟の結婚式で東京にいない旨を伝えたときに喜んでくれた受講生の皆さんにも、弟に代わってお礼申し上げます。

 

それでは乾杯!!

 

 

 

キャンドルライトの中の二人を
今こうして 目を細めてる
大きな喜びと 少しのさみしさを
涙の言葉で 歌いたい

明日(あす)の光を 身体にあびて
振りかえらずに そのまま行けばよい
風に吹かれても 雨に打たれても
信じた愛に 背を向けるな

乾杯! 今 君は人生の
大きな 大きな舞台に立ち
遥か長い道のりを 歩き始めた
君に 幸せあれ!

 

 

【パーソナル・セッション!!】

【場所】 新宿の貸し会議室(受講生に個別でお伝えしております)もしくは遠方の方はオンライン
【料金】  60分・15,000円(銀行振込) 120分・29,000円(銀行振込) 60分×3回44,000円(銀行振込)60分×10回149,000円(銀行振込)
【受講資格】ブログ読者
【持ち物】 情熱とゴールと筆記用具
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