それが子にとって最適かどうかなど考える前に親としてできる事 | おせっかいオヤジの子育てプロジェクト

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中学生の息子と高校生の娘を困らない社会人に育てるべく立ち上がった親父の物語

先日、娘の

『退学届』を提出するという

人生に2度と無い

一大イベントを行ってきた。

 

それこそ、〇八先生の

加藤勝のように

中島みゆきの『世情』をバックに

校長先生へ叩きつけるような

イメージだった(古)が、

生徒手帳フォーマットがあって

それをコピーして提出するという

この上なく事務的に5分で終了。

 

親としては中高一貫校に

血の出るような思いで

資金を投入し続けたのに

こちらがが思っているほど学校側は

全く特別な存在ではない

当たり前だが思い知ることになる

一瞬だったニヤニヤ

 

 

 

そんな事務的なエピソードの中でも

唯一印象に残っていたコメントが、

というものだ。

 

果たしてこんなレアな決断

娘にとって本当に良いのか?

いまだに迷っている所ではあるが

先日YouTubeでそんな悩みを

払拭できるかもしれない

とんでもない本が紹介されていた。

 

 

この作者は本業が経済学者にして

医療関係のデータを扱うプロで

元々は政府の医療政策などに

エビデンスを提供し、提言するような

仕事をしているらしく、

そんな性分からか、

自身の子育てにおいても

ありとあらゆる判断を

データに基づくエビデンスを検索し

子供を見ている産婦人科医や

学校の先生を激詰めしていくという

何ともハタ迷惑な

インテリ系モンペア風

ストーリーになっているというポーン

 

 

果たしてデータで

どこまで最適を測れるのか?は

甚だ疑問ではあるが

父が考える、親ができる

唯一のものとして

子供に経験の‟場”

提供すること

ぐらいだとかと思う真顔

 

 

よって、今回の留学も

それが最適かどうかなどは

現時点で明確に分かるワケもないので

とりあえず経験を与えられただけ

良しとする方向で

納得するしかなさそうだウインク

 

 

 

 

自分の人生を振り返れば、

‟たまたま”の連続だった。

 

‟たまたま”その環境に出会え

‟たまたま”経験できたものが

”たまたま”長く続いたぐらいのものだとか、

しみじみ感じながらも

先日、取引先の社長に

‟たまたま”連れられて入ったスナックで

‟たまたま”出会ったとんでもなくうまい日本酒に

‟たまたま”とんでもない金額を請求され、

‟またまた”妻に釈明という修羅場

設定するハメになった父であったデレデレデレデレ