ランディさんとお父さんの関係は、私と父のそれとよく似ているなぁ、と思っていたことがありました。
ランディさんのお父さんの方が多分重度だったとは思うのですが‥。
今日、ランディさんが、ツイッターで、
父は病的酩酊だった、と語っていました。
なるほど。そういう名前があったのか、あの症状には。
アルコール中毒ではなかったと思います。
酔った時に人格が変わったようになり、罵詈雑言を吐き、周りに当たり散らす、というやつ。
私は、物心ついてからは、帰宅してきた父の目を見るとわかるんですよね、なんかね、らんらんとしてんの。
今日はあの日だ、と。
本当に、心底嫌いなんですよ、その時の父が。
だけど寝て起きたら何も覚えてないんですよ。
現役で働いている時だけかと思いきや、
仕事と引退して時々、シロが来てからもありましたね。
私と父が取っ組み合っているところにシロが止めに入ったりとか(笑)
父に向かって吠えてたね。
嫌なことは忘れるようになっていて、
私も母もほとんどあの日々のことは思い出せません。
母なんかはなかったことにしてんじゃないのかな?
父を憎んだりとかは一切ないですから。
家族のために、一生懸命働いている、
仕事のストレスからだ、と思ってて。
実際のところ、働きぶりはかなりのもので、賞もらったり、
定年後は、子会社の社長を任されたりしていて。
多分、何があっても真面目に働き抜いてくれたから、母は許してたんでしょうね。
私も定年後、シロが家に来てから、やたらとしゃべるようになった父と仕事の話をすると、お前は間違ってない、上の奴が悪いんだ、とか言ってくれたりして。
真面目に働いてる人だなぁっていうのはあった。
ただ、現役の時は気を使い過ぎていて、そういうストレスがすごかったんじゃないかな。
帰宅してご飯食べながら延々と仕事の話を一時間ばかりして。
母は、ずっとその話を聞かされてたんだけど、昔、あれ、ちゃんと聞いてて偉いと思ってた、って言ったら、
正直、テキトーに相槌打ってただけで、内容ほとんど聞いてなかったらしい(笑)
子供の時、真剣に聞いてるようにしか見えなかったから、すごい驚いたんだけど(笑)
今でも、母は、右から左に受け流すプロです(笑)
とにかく、自分の気持ちを素直に表現することが苦手で、
働いている時、私が子供の時は平日は話しかけても答えてもらえないぐらいだった気がする。
本の関係の仕事だったんで、りぼんとなかよしを持ってきてくれる日があって、
その日ですら、殆ど会話しなかった気がする。
よく、居酒屋におき忘れて来てたね(笑)
入院してから意識が朦朧としているとき、
あの目をして、暴言吐かれることがあり、本当にダメでした。
眠り続けている状態の時しか会えなかったなー正直。
今までよく考えてこなかったし、正直向き合いたくもなかったことですが、
その時は、とりあえずやり過ごすしかなかったし‥。
やっぱり、父は心を病んでいたのだなぁ、と思ったりして。
あの時、心療内科に行ったりとかしてなんとかしてあげたらよかったのかなぁ、とか、思ったりして。
今となってはどーにもならないことですが‥。
いや、でも、『精神的な病気』なんて言ったら、正気ではいられなかったでしょうから、
やっぱりどうしょうもなかったんだなぁと思ったりします。
父のところにたくさんお花が飾ってあり、
なんだか本当に愛されてんだなぁ、と今でも思ったりしますけど、
母の凄さ、
あんなに苦労したのに、
死ぬ間際に『お父さんありがとう』って、
あれは本当に忘れられないな。
家族には、家族にしかわからない繋がりとかあるんですよねー。
父と母にしかない信頼関係のようなものあったんだと思います。
母が、父が亡くなった後も父のことものすごく大事にしているから、なんだか私たちも救われるところがあるんですよね。
酒で暴言吐く最低な父、というのが、
もうなんかなかったことみたいになってて。
母が不幸だと思ってしまう人だったら、
私たち子供の人生も、不幸なものになってしまう。
母が幸せそうにしてくれてるから、
父を憎まずに生きてこれてるのだと、
本当にそう思いますね。
母ちゃんでっかいなぁ、と、思わされることばかりです。
すげーな、うちの母。