た~こ~や~き~ゆうみ~!その② | へーやのDD的ヲタ活のすすめ

へーやのDD的ヲタ活のすすめ

ブログの説明を入力します。

■前回のブログ


朝日奈ゆうみちゃんが所属するアイドルグループBANZAIJAPANの候補生ユニットASHIGARUJAPANが、渋谷Gladで行われた対バンに出演したのは2018年4月13日。


■朝日奈ゆうみちゃん


出演した全メンバーは覚えていませんが、ASHIGARU専任で6期メンバーがゆーみん(大阪府の伝道師見習い 朝日奈ゆうみちゃん)、つーちゃん(埼玉県の伝道師見習い 藤谷つかさちゃん)、空ちゃん(静岡県の伝道師見習い 里中空ちゃん)、ミナちゃん(東京都の伝道師見習い 鈴木ミナちゃん)に、兼任メンバーのゴキの誰かがいたと(※)思います。

※ミナちゃんはそのあとすぐくらいに脱退したと思うし、ゴキ(5期)も当時居た春川愛美ちゃん、佐藤樹姫ちゃん、蘭まうちゃん、島田玲奈ちゃん、藤崎しおりちゃんのうち誰が居たかは記憶が曖昧です(^^;


久しぶりに観たBANZAIJAPANの曲を歌うのはASHIGARUJAPANのメンバーになりました。


普段のかわいくて面白キャラを配信で見たことしかなかったゆーみんが、ステージで躍動していました。


なんといってもその笑顔。

本人はポニーテールが似合わないという丸顔が、二コーッと笑うのが眩しくて。

その笑顔は彼女のアイドルとしての武器だと強く思ったのを覚えています。


物販は狭いGlad.のロビーで大混雑。

驚いたのは、物販スタッフがBANZAIJAPANメンバーで当時在籍していたリーダーの安原めいちゃん(石川県の伝道師)と志田りんちゃん(長崎県の伝道師)。


あとで知ったのですが、普段BANZAIJAPANをレッスンしているmaco先生ではなくASHIGARUJAPANはめいちゃんとりんりん(りんちゃん愛称)が指導していて、物販も裏方として参加したのでした。


そんな中、ゆーみんと初めてのチェキは、めちゃくちゃ緊張したのを覚えています。

でも向こうもそんな感じで、配信だとボケたりツッコんだりとわちゃわちゃやるのに、どこかよそよそしくて(^^;


ただ「あーBANZAIJAPANの現場に帰ってきた。これからまた始まるんだな」と思ったことを覚えています。


■初チェキ


■元リーダーのめいちゃん

■りんりん

そうやって始まったゆーみん推しの生活。

ここからは記憶が曖昧で時系列は違うかもしれませんが、当時あったいろいろな話しを。


①界隈名「ゆうみカンパニー」

朝日奈ゆうみちゃん推し界隈は、単推しとしてFさんという方がアイドルになる前から応援していた方などアイドルになる前からのヲタクと、BANZAIJAPANの他メン推しの大名側室()さん、そして大名側室で推しがいなかった自分のようなヲタクが2、3人だったと思います。

ただしこれは、あくまでも僕が把握していた範囲です。

※BANZAIJAPANのヲタクの総称で男性が“大名”、女性か“側室”


そこで配信て界隈名を決めようという話しとなり、いろいろ意見を出し合いゆーみんに決めてもらう流れに。

ただ、こだわりが強いのに優柔不断なところのあるゆーみんなので。なかなか決まりませんw


どれくらい話し合ったでしょうか。

1ヶ月くらいやり取りしたのではと思うのですが、ある時、僕がゆーみんが元々女優業をしていたということから“座組”とか“劇団”を意味する「“カンパニー”ってどうだろう」と提案(※)しました。

※当時、みずちゃんきっかけで俳優さんとも交流があり、そういう単語を思いつき(^^;


するとなぜか話しが進んで「ゆうみカンパニー」という名が候補に。

するとほかの大名さんが「ゆうみカンパニーを略したら“みカン”となって“未完”とも読め、これから発展していくという意味にもなるね」の言葉で、ゆーみんもみんなも納得。

晴れて「ゆうみカンパニー」に界隈名が決定しました。


②推しカラーの決定

続いてライブでゆーみんを応援する時のペンライトの色の話しに。

これもあれやこれや話し合います。


途中ゆーみんから自分のオーラを占い師に見てもらったら紫だったという話しや、カラーコーディネーターの資格を持っているという話しで、いろいろ話し合われるも案の定決まらずw


最後は、確か当時いた側室さんだったかゆーみん本人だったか忘れましたが、ゆーみんから元気をもらうという意味でビタミンカラーであるオレンジ黄色でとなりました。

ただ、これは何となくそこに収まったというだけで、はっきり決まるのはもっと後になります。


③推しと呼んだはいいけれど

ここまでゆーみんを推しと呼んで応援し始めた話をしてきましたが、実は僕は家族持ちで、そんなに頻繁に現場に行ける財力も時間もないため、数少ないゆーみん推しなのに月に一回くらいしか行かないため、会う度に「久しぶり!」って言われる日々(^^;


チェキにも本人は意識してないと思いますが“久しぶり”の文字がよく書かれました🤣


■当時のチェキ


とにかく昇格するにはパフォーマンスのレベルアップに加えてヲタクを増やさなければならず、たまにしか行けない僕は戦力としては弱かったのです💦

まぁこの悩みはこのあともずっと持ち続けます。


そのため頼りない僕だけでなく、もっとゆーみん推しに増えてもらおうと考えていました。


初期の頃はチェキをまとめて撮ったあと、1人ずつヲタクのところに行って書きながら話しをするパターンだったでした。


そこで「とにかく初見さんを優先してね」と伝えた結果、「ごめん💦時間切れ、落書きできへんかった。次回持ってきてくれたら書くね🙏」「かまへんよ( ^ω^ )」のやり取りが多く白チェキが結構あります🤣


7月22日が誕生日なので、その年はゆうみカンパニーでライブの日に初めての生誕祝いをしました。

みんなでメセカを集めてアルバムにして、ゆーみんが好きなミニオンがデザインされた花束などを渡しました。


そして翌8月15日。

ついにBANZAIJAPANに昇格をしたゆーみん。


この頃までは、穏やかな日々を送っていました。


ところがその秋に転機が訪れます。

ゆうみカンパニーをまとめてくれていたFさん。

加入前からゆーみんを応援してきて、ゆうみカンパニーに誘ってもくれた人。

彼がBANZAIJAPAN界隈から他界する。ついてはゆうみカンパニーの連絡用に作っているTwitterのグループDMの運営を誰か引き継いでほしいと

切り出したのでした。


理由は覚えていませんが、ずっとゆうみカンパニーを引っ張っていってくれると思っていたので混乱しました。


前にも書いた通りゆうみカンパニーは当時、ゆーみん一推しと言っていたのはFさんのように以前から応援している人以外では、僕ともう1人地方住みの人しかおらず、あとは他メン推しだけどゆーみんも応援するという方がほとんどだったのです。


しかもFさんを覗いてはアイドル現場に興味がある人が少なくて、Fさんがいなくなったら地方済みの方は滅多に来られないので、現場に来るゆーみん推しは自分だけになる状態に。


そのため、はっきりとは言いませんがFさんも周りも跡を継ぐのはへーやだという雰囲気が伝わってきました。


とても悩むことになります。


③へ続く


■チェキ