一年かけて築かれた新生“燃えこれ学園”が再スタートを切る号砲となるはずだった新曲シングルCD「Re-START」の2000人お届け(販売)企画。
まさに新しい「Go to 武道館」に向けて一歩を踏み出した2020年2月に、あのコロナの大流行が始まったのでした。
3月、4月とコロナが猛威を振るい、日本中が機能を停止し、アイドルグループも活動停止。
ようやく自粛要請期間が終わったあと、ライブ活動を再開しても無観客で配信ライブのみというこれまでと全く違う活動を強いられることになり、燃えこれ学園もファンと直接触れ合える場所を失ってしまいました。
さらに持病を抱えながら何とかやってきていた自分でしたが、コロナのせいでいろいろ経済的、体調的に行き詰まってしまい、とうとう6月を最後にヲタ活を休止せざる得ない状態になってしまいました。
ライブもなく、オンラインライブやオンライン物販で活動を何とか続けていたなぁなや燃えこれ学園と自分のヲタ活中止が重なったため、Twitterや配信でなぁなに絡み、それに応えてもらうのは申し訳ないと思い、Twitterでヲタ活休止をツイート。
そしてネット上でもなぁなにリプしたり配信でコメントをすることを止めました。
自分で言うのも変ですが、どん底の日々でした。
ところがヲタ友さんたちから、そのこまでストイックにならなくていいんじゃないか?気分転換も必要だよ?と言われて少し思い直して、ちょっとだけ反応するように。
そんな中、またしてもなぁな生誕を1ヶ月後に控えた6月半ばになぁなの配信へ。
挨拶をした僕になぁなが開口一番「これからも気にせず遊びに来てね」と言ってくれたのです。
その時のことは以下のブログに記載しましたが、本当に嬉しかったです。
コロナで会えるアイドルは会えなくなりましたが、この頃からなぁなとの心の距離感がぐっと縮まった気がします。
■そのブログ
そして何とかカミさんに無理を言って購入した配信チケットで、スマホ越しに参加することになった2020年5度目のなぁな生誕祭。
これまでその空間に溶け込むことで楽しんでいた燃えこれライブを、少し引いた目で見守ることでなぁなやメンバーが目線や指先まで意識して曲の世界観を表現したり、ノリでやっているように見ていたパフォーマンスが練習を重ねて計算されていることに気がつけるようになりました。
そしてなぁながかけてくれる優しさと彼女のアイドルとしての姿やパフォーマンスにこれまで以上の思いが募って来ました。
すると、これまで自分基準で見たときに、なぁなを“推し”と呼ぶことに躊躇(ちゅうちょ)していた自分が打算ではなく、とにかく心から愛でたい存在だとなぁなのことを思えるようになり、自分なりにできることで応援の気持ちや感謝を伝えようと思い、5年目にして初めてなぁなのことを“推し”と呼ぶようになったのです。
■そのときの心境を書いたブログ
ライブに行けていたときは、その頻度や熱量に自信が持てなかったのに、ライブに通えなくなってなおさら頻度が下がっときに熱量に気がつくという現象がおこったのてした。
なぁなが本当に大切な存在になった瞬間でした。
そこからコロナ禍で現場には行けなくなりましたが、ヲタ活休止中もなぁなやメンバーの重要な配信ライブはチケットを無理しても購入するようになり、現場には行けないながらも、ライブ配信参加やオンライン物販での購入など頻度や熱量が上がったのは、変な話ですがコロナ禍のおかげでした。
そして“推し”と自信を持って呼び始めた僕は再びなぁなのパフォーマンスを現場で見る日を夢見て、自分の生活の安定、そしてヲタ活の復活を目指しながらなぁなを推し続ける日々が始まったのでした。
「推しと呼び始めた日々まで編【完】」
次回より「大好きで大切な推し編」
(と言ってもそんな長くはないと思います😊)