生活と労働が一緒になると人生楽しくなる。 | minolog

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コロナ禍をきっかけにした在宅ワークの浸透。

 

 

そのことで大きく変わったのは「労働」の家庭への進出ではないか?

 

 

それまで「労働」は会社、「生活」は家庭。

 

 

場面が分かれていた。

 

 

「労働」の場から解放されるために家路を急いでいた。

 

 

ところが在宅ワークで「労働」と「生活」が家庭で同居することになった。

 

 

このことの賛否はまだ決着を見ていない。

 

 

雇用側からの目線で言えば「在宅ワークは労働生産性が低い」と見える。

 

 

自宅で仕事をすれば「労働時間内に仕事以外のことをする」という疑念がある。

 

 

おそらくそういう事はあると思うし、在宅勤務者のほとんどはそういった経験があるであろう。

 

 

そもそも、労働時間内に仕事以外のことをしてはいけない理由は何か?

 

 

それは日本の労働法自体が「労働時間の提供」の尺度だけで作られているからだ。

 

 

年間労働時間、週の労働時間、1日の労働時間などが法律によって定められており、企業はその縛りの中で労働者を雇用しなければならない。

 

 

「労働時間」という尺度だけで見た場合、企業は「時間」の対価として給与を払っている。したがってその「時間」内に労働以外のことをすれば「契約違反」という感覚を持つのは当然なのだ。

 

 

もちろん、家に居ようが会社に居ようが外回りしていようが「サボる」ことは誰にだってある。

 

 

在宅ワーカーのみを標的にして「サボってる」と疑念を持つのは適切ではない。

 

 

そもそもなぜ人間はサボるのだろうか?

 

 

基本的に、他人から指示されでさして興味のない事柄についてはできるだけ手をかけたくない。

 

 

例え興味がなくても、学生の頃は「宿題をやってない」もしくは「予習復習をやってない」というサボり行為をすれば定期テストの点数が悪かったり、入試でうまくいかなかったりと「自らにしっぺ返し」がやってくる。

 

 

従って「サボり=返り血を浴びる」の構図があった。

 

 

しかし、社会人になるとサボっていたとしても上司や会社にバレなければ問題にならない。

 

 

サボっても損しないのであれば、よりサボりやすい環境で働けるのは助かる。

 

 

だから、在宅ワークに人気が集まる。

 

 

ある意味で在宅ワークは自分のペースで仕事をして家事もできる、休憩時間だって自由だ。

 

 

生活と仕事が両立した関係が成り立つのである。

 

 

そうなると「サボっている」という概念は無くなっていく。

 

 

「自分としては言われた仕事をしっかりやってる」という自負があるから会社から「出社せよ」と言われる意味もわからない。

 

 

それはそうだろう、会社は「時間軸」働く側は「成果軸」で仕事を見ているのだから相容れない。

 

 

こうして在宅ワークの可否問題はその本質とは離れた議論ばかりになっていく。

 

 

 

 

 

それでは労働法で守られていない経営者はどうだろうか?

 

 

会社経営者のほとんどは「働く」と「生活」を区別していない。

 

 

それは「働く」が「生活」の一部であり「嫌なこと」ではないからだ。

 

 

だから経営者が「サボる」という事はない、24時間生活の中に仕事がある。

 

 

どこに居ようと、プライベートであろうが仕事が頭から離れない。

 

 

それが「好き」だからだ。

 

 

家族と知人と食事していてもビジネスのヒントがあればメモしたり調べたりする。

 

 

自分の事業が好きで働くことが好きでなければ経営者を続ける事はできない。

 

 

好きな事をやっていれば自ずと効率も上がる、生産性も高くなる。

 

 

 

 

ということで、働く人達が「好きな事を仕事にする」ことができればどこでどんな働き方をしていようが問題にならないと思う。

 

 

それこそがまさに「生活の中に仕事がある」状態であり、人間らしく生きる事であると考える。

 

 

在宅ワークであろうが出社で仕事をしようが、自分のやりたいように働いてそれに見合ったギャラが手に入れば問題はない。

 

 

企業側だって、そのように自由を認めたいのだ。労働時間だけで縛るのではなく「双方が合意する成果」によってギャラを払うことができればその方が良い。

 

 

それらを実現するためには、今までのような企業と個人を「労働時間」という尺度だけで縛るのではなく、もっとフレキシブルな関係づくりを認めるべきである。

 

 

日本も「リスキリング」を進めていく方針を決めたのだから、働き方の改革と共に「雇用に関する改革」も進めていかなければ双方の幸せはない。

 

 

生活と仕事が上手に同居することで楽しい人生を送ることができると思うのだが、どうだろうか?