ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》のスタッフブログ -31ページ目

ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》のスタッフブログ

『1日だけのヒューマンドキュメンタリー映画祭2025』開催!
2025年11月15日(土)11:00〜/大阪市中央公会堂 地下大会議室


映画祭本番まで、あと5日!

予告編「ニッポンの嘘~報道写真家 福島菊次郎90歳~」


ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》2013

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8月31日(土) 15:15~
「ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳」 長谷川 三郎監督


監督:長谷川 三郎よりメッセージ

報道写真家、福島菊次郎さんと出会ったのは、今から4年前の2009年の夏。
「報道写真家 福島菊次郎が、瀬戸内海の街に暮らしている。現在90歳近い年齢で、胃がんを患い、満身創痍。
ちゃんとお話が聞けるのは、今が最後のチャンスかもしれない…」

そんな話を聞き、プロデューサーの橋本佳子と、広島行きの新幹線に乗った。
権力の嘘を暴き続けてきた反骨の報道写真家、福島菊次郎とは、一体どんな人物なのか…。
緊張気味の私を出迎えてくれたのは、六畳間で愛犬ロクと暮らす、福島さんのとびきりの笑顔だった。

「なんでも聞いてくださいよ。だいぶモウロクしているけど、レンズを通して見た戦後だけは、しっかりと頭に残っているの」
大先輩である福島さんに失礼な物言いかもしれないが、そのチャーミングな人柄、そして壮絶なカメラマン人生に、初対面から魅了されてしまった。
福島さんがカメラで暴こうとした『ニッポンの嘘』を伝えたい…。
その直感を頼りに、東京から福島さんの元に通う日々が始まった。

そして取材の最中、2011年3月、あの取り返しのつかない、福島原発事故が起きてしまった…。
食い入るようにTVニュースを見つめる福島さんは、無念そうにつぶやいた。
「今のフクシマがヒロシマに重なる…」

国家に棄てられたヒロシマの被爆者との出会いをきっかけに、カメラマンの道を歩み始め、人生をかけて暴き続けた『ニッポンの嘘』。
その福島菊次郎の写真を改めて見つめ直した時に、息をのんだ。
3.11以降のニッポンを覆うであろう嘘を、写真が静かに語っていたのだ。

「嘘を許してはいけない…」

先行きの見えない時代が続きますが、スクリーンを通して、福島菊次郎さんと出会い、これからのニッポンについて考えて頂ければ嬉しいです。


公式サイト


長谷川 三郎(監督)
1970年千葉県出身。
1996年よりドキュメンタリージャパン参加。
TVドキュメンタリーを多数演出。
映画祭本番まで、あと6日!

予告編「立候補」


【 ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》2013】

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8月31日(土) 13:00~ 
「立候補」 藤岡 利充監督

監督:藤岡 利充よりメッセージ

大阪の皆様、お久しぶりです。
この映画「立候補」は、大阪が舞台でないと成り立たなかった映画です。
大阪の人たちの、他人との距離の近さ、好奇心への素直さによって、映画の魅力が成り立ちました。

これがもし、東京都知事選に軸を置いていたら、全国の劇場への広がりはなかったと思います。

中世、ザビエルを始めとする西洋の宣教師が日本を初めて訪れたとき、日本人が知的好奇心に旺盛な姿に心打たれたと聞きます。
このザビエルの感覚を、大阪の選挙を取材した時、私は感じました。カメラを向けたらきちんとインタビューに答えてくれますし、カメラを向けなくても話しかけて来る。
「何なんこれ?」この疑問を大事にしている素晴らしい土地だと思いました。

震災後、怒りと諦めが底辺を流れ続ける日本。
この沈滞した空気を救うのは、前向きで明るい大阪の人間力だと信じています。

映画「立候補」が東京・大阪のみならず、全国へ少しづつ展開できているのは、その証拠です。
大阪の皆さん、本当にありがとうございました。
より多くの大阪の方とお話し、ご意見伺えたら幸いです。


「立候補」 公式サイト

藤岡利充(監督)
1976年山口県生まれ。
2005年に映画「フジヤマにミサイル」で映画監督デビュー。
その後山口県へ帰郷し新聞販売店に勤務。
起死回生の一手として映画「立候補」を製作。現在に至る。
8月31日(土) 12:00~
ドキュメント・ライブ 「human note」

「うたごころ」《2012 年版》上映後、映画に登場する合唱グループ
「human note」のライブがあります。

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【human note プロフィール】
2007年結成。
関西を中心に活動するシンガーソングライター寺尾仁志がディレクションする約700名のsingers。
2008年、大阪府教育委員会からの依頼を受け、「こころの再生府民運動」テーマソング『みんなトモダチ』をレコーディング。
大阪府の幼・小・中・高2500校にCDが配布され、それに伴い2009年1月から「学校めぐり」と称し、多くの学校及びデイケアセンター、子育てサロンを訪問する。
その活動は国内にとどまらず、海外にまで広がりをみせ、2009年11月にはケニアを訪問。
その後、インドネシアバリ島・ハイチ・カンボジアへの訪問を果たし、2013年10月には5回目のケニア訪問を予定。
楽曲は河口恭吾、平義隆、中西圭三などの日本のトップアーティストと制作を行い、ゴスペルをベースとしたクワイア(聖歌隊)スタイルで年齢、性別、職業を越えたメンバーと共に世界中にウタのタネをまいている。
2012年9月には全5曲入りCD「よろこびのうた」リリース。
同11月にはNYアポロシアターで日本人アマチュアグループ初単独公演を成功させる。
また、病気とたたかっている方と作る病院でのコンサートや院内学級の子ども達との交流や、三陸地方を中心とした東日本支援活動にも力を入れている。

映画祭本番まで、あと7日!

予告編「うたごころ」《2012 年版》


ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》2013】

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8月31日(土) 10:00~
「うたごころ」《2012 年版》(112分) 
監督:榛葉 健よりメッセージ

映画「うたごころ」は、被災地の宮城県南三陸町と気仙沼市を舞台に、女子高校生たちの“再生の日々”を描いた映画です。
商業映画のように宣伝でブームを作ることをしない手作りの映画でありながら、facebookなど草の根でつながる皆様の応援で、今や日本中や海外にまで広がっています。
その中で2度上映させて頂いた地元・気仙沼での上映会は、この映画の役割を考える上で大変意味の深い場でした。

今年3月の《2012年版》上映会。
司会の女性は地元気仙沼出身。
お母さんとご兄弟を津波で亡くされていました。
彼女はこの上映会を主催された大手流通イオンの気仙沼店の従業員で、通勤の往復、一人で車に乗っている時に何度も2年前のことが蘇り、涙が止まらなくなる、と仰いました。

「自分はなぜ、2人を救えなかったのかと、いつも思うんです…」

話を聞かせて頂いたのは移動中の車中。
気丈に語りながらハンドルを握る彼女を見て、この上映会は、主に仮設住宅からお出で下さる地元の皆さんに向けた上映会であると同時に、彼女のための上映会でもあるのだと思いました。

そして上映開始。
初めて「うたごころ」を見た彼女は、《2012年版》のハイライトとも言える、あるノーカットの場面で、ポロポロと涙をこぼしながら、“確かなもの”を感じたそうです。

絶望の中にあるかすかな希望をたぐり寄せる、心の動き。

それは2年間、痛みを抱え続ける彼女自身による、能動的な「動き」です。
映画が何かを「与えた」わけではなく…。

彼女は、仰いました。

「『うたごころ』に救われました。
“あの場面”でボロボロと涙が止まらなくなったのは、悲しいといった感情ではないと思います。
一言では言い表せない感情が湧いてきました」


映画を 見ただけで、彼女を取り巻くすべてが解決するわけではありません。
ただ、人の心は、絶望と希望の間を振り子のように行き来しながら、人生の諸々を、ゆっくりと受け入れていくのかもしれません。

震災の発生から2年を過ぎ、今、当事者の方々にドキュメンタリー映画が果たせる役割があるとすれば、その“振り子”を少しでも「生きる方向」に向かって行けるように、きっかけをお届けすることではないかと思います。


今回、「うたごころ」シリーズを毎年、真っ先に披露させて頂いている《阿倍野》に戻って来て、思います。

「震災に限らず、今を生きることが苦しいと感じている全ての人に、この映画を贈ります」

去年、阿倍野の大ホールがほぼ満席のお客様で埋め尽くされ、会場中が涙と感動に包まれました。
1年ぶりの大阪。映画祭ディレクターとしても、悲願の満席を皆さんと一緒に作りたいです。

ぜひ「うたごころ」を信じて、奇跡の時を見届けて下さい!
映画祭本番まで、あと8日!

予告編「奈緒ちゃん」

ヒューマンドキュメンタリー映画祭《阿倍野》2013

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8月30日(金) 15:30~「奈緒ちゃん」


監督:伊勢 真一よりメッセージ

「不惑」

夏の一日、横浜市郊外の通い慣れた道を、スタッフと共に姪っ子の奈緒ちゃんの家に向かいました。
てんかんと知的障害を持つ、「奈緒ちゃん」の撮影を始めて、もう33年になります。
まだ撮り終えません。

この日は、奈緒ちゃんの40才の誕生日、「不惑(ふわく)」です。
私の姉、奈緒ちゃんのお母さんも、今年5月で70才。
二人だけのささやかな誕生祝いをすると聞き、撮影することにしたのです。

何事にも用意周到でない私は、当日になって、バースデイプレゼントを忘れていることに気づき、慌てて近くのスーパーマーケットに立ち寄りました。
洋品売り場で見かけた、バーゲンのアロハシャツが一目で気に入りゲット、「沖縄で買って来たんだ・・・」とホラを吹き、おおいにもったいぶってプレゼントした。
奈緒ちゃんはピンク色、お母さんはグレー、二人ともとてもよろこんでくれました。

誕生祝いのメインディッシュは、奈緒ちゃん得意の料理「春巻き」。
ここのところ、週に一度は「春巻き」を創っていると言うだけあって、なかなか腕を上げたみたいだ。
狭い台所で、母子二人たっぷり汗を流しながら「春巻き」を揚げているシーンを、“映画のおじさんたち”も汗だくになって、隅っこにへばりつき必死で撮影した。
ふと、私はこおいう撮影が、こおいうドキュメンタリーが、性に合っているのだろう・・・と思った。
“こおいう”というのは、「普通」のひとりひとりの、「普通」のひとときひととき、という感じだろうか。

意を決して被災地へ向かい、その記録を撮ることも必死になってやるけど、「普通」の魅力に心動かされ夢中になってしまうのが、私にとってのドキュメンタリーを撮りたいと思う一番の動機、ということだ。
もちろん、被災地あるいは戦場などで、ドキュメンタリーを撮ることの背景の動機は、その「普通」が、揺らぎ破壊されることへの哀しみや怒りであることは、充分にわかりつつですが。
臆病者だから、コワイところは苦手で居心地がいいところが好き、というだけかもしれないが、ドキュメンタリストには、不向きな性格かな?

「奈緒ちゃん」と「お母さん」の二人きりの誕生祝いは、とても居心地がよかった。
美味しいものを食べ、歌を唄い、笑いに笑い・・・「しあわせが写っている」と、今は亡き、映画『奈緒ちゃん』の初代カメラマン瀬川順一さんが、フィルムを観ながら呟いた言葉を久しぶりに思い出した。

ひとときの「しあわせ」。
「しあわせ」って、いいですね。

奈緒ちゃんは「不惑」。
仲間たちとグループホームで暮らし、福祉施設「ぴぐれっと」で働き、時々、この日のように実家に帰って来る。
「不惑」をとおの昔に過ぎ、まだまだ惑いっぱなしの私は、まだまだ「奈緒ちゃん」を撮り続けるのです。


いせフィルム

伊勢 真一(監督)
1949年東京生まれ。答えよりも、問いを持ち続けたいと、幅広くドキュメンタリーを手がける。