3月11日と震災 | HCAP東京大学運営委員会(HCAP Tokyo)

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こんばんは。 代表の三澤です。
今回は3.11について書かせていただきます。主に当日やっていたこと、最近行ったボランティア経験を踏まえて感じたことを書きます。
まず3月11日当日について
その日僕は皆と同じように受験の結果発表の翌日で、久しぶりに朝のんびりと起き、予備校の先生にお礼の挨拶をしようと昼頃出掛けました。そして地元の駅に着き、乗りたい電車に乗ろうとして、2本電車をやり過ごし、3本目が駅に到着したまさにそのとき、地震が起きました。
小さな地震には慣れていて、「また時々起きるあれか」程度に最初は考えていました。しかし2回目に大きな揺れが来たときにその大きさが経験したことのないものだと直感し、駅の中でできるだけ安全な場所を探そうとしました。
駅は倒れるものが少なく、あまり被害を感じなかったのですが、家に帰ってみると置物が落ちて割れていたり、本棚の本がほとんど落ちていたりとその影響に驚きました。そしてニュースで大震災だと確認し、自分と家族が無事家に帰れたことにほっとしました。
そして僕個人の「被災」はむしろ3月11日以降に多かったのを覚えています。同じCMや情報ばかり流すメディア、品不足のコンビニやスーパー、余震の恐怖、乱れる電車のダイヤ、放射能漏れの恐怖、輪番停電、入学式の中止など。
このように地震直後は自分及び家族、せいぜい親戚友人の安否や利害などしか考えられませんでした。情報が次第に明らかとなり、東北を中心とした被害が著しいことが分かっても、僕のできたのはほんの少しの募金と節電程度のものでした。

次に最近行ったボランティアの経験について書きます。
上記の通り、被災地に対して無力感を味わった自分は一度は直接ボランティアを行いたいと思い、先日知り合いが運営する団体を利用して非常に短期間ですが、宮城県気仙沼市にボランティアに行きました。現地では瓦礫の撤去などの最低限の片付けは済んでおり、商店街の復興に向けた手伝いを行いました。具体的にやったことは拾った冷蔵庫を使えるように拭くことと、ある寿司屋の保管していた大量の皿を運び出し、洗うことでした。
そこで感じたことは主に3つ。一つ目は災害は多くのものを奪い、人事ではないということ。最初現地に着いた時はまるで別世界に迷い込んだように思いましたが、実際にそこで多くの人命が失われ、多くの家が流されたことを考えると居たたまれない気持ちがしました。
二つ目は現実の被災地の復興にはまだまだ必要なものが多く、人手を必要としているということ。若く体力のある学生25人ほどが半日かけてやれたことが一軒の寿司屋の皿を3階から2階に移すといったことでした。
三つ目は被災地は復興に向けて前進しているということ。60代ぐらいの男性から「気仙沼復興商店街」の構想を熱く語って頂いたり、現地で取れたうまい鰹の刺身を頂いたりし、気仙沼の良さも知ることができました。

一度短いボランティアに行った程度で被災地のためになったと胸は張れないと思います。しかし実際に現地を見ることで現状を知り、マンパワーの必要性を感じ、そして現地の方の思いや優しさに触れることができたことは大きな収穫でした。災害はいつどこに起きるかも分かりません。誰かに責任を押し付けるのではなく同じ日本人として、困った時はお互い様といった気持ちで、今後も何かしらの貢献ができたらなと思います。

乱筆失礼致しました。それではまた。

三澤 晃人