過去3年、コロナ禍により大幅に規模を縮小して行なわれてきたこの大会、
やっと今年コロナ前のボリュームで開催された。
天気が心配だったが予定通り式典~パレードまでを終えることができた。
主催のライオンズクラブの皆さま、関係者の皆さま、ありがとうございました。


たくさんの人が集まる大会なので、いろんな知った人・なつかしい人にも会う。
バレーボール少年団の現役指導者をしている同級生
今は小学校の校長先生になっている高校サッカー部の後輩
今はライオンズの会長になっているかつてのうちの団員のお父さん
午後から神社のお神輿を担ぐOJBの後輩たち
仕事仲間の親方
市役所職員の人、体育連盟の人・・
思い返せば、この交歓大会の第1回が開催された年、私は小学5年生で健民少年団員として参加している。
光陰矢の如しだ・・。

今年の9月は暑かった。まるっきり夏だった。結構しんどかった。
10月に入り、やっと秋らしくなってきた。私の好きな季節の到来だ。
今年は「スポーツの秋」。ラグビーW杯、大相撲秋場所、アジア大会・・。
やっぱりラグビーがおもしろい。ハードな競技でルールも難しいが、実に知的で紳士的だ。
今回大会も夜更かし・4時起きしながらワクワクしながら観戦している。
ワクワクの真逆もあった。昨夜アジア大会サッカー日本対北朝鮮を観た。ひどかった。
かの国にはスポーツマンマンシップのなんたるか、を基本から学んで出直してほしい。
日本イレブンはよく頑張りました!
旧友との再会。
久しぶりに安井小学校竹馬の友のM君と会えた。東前ローソンから会社に戻る途中偶然、歩いている彼に会えた。
クルマを停めて降りてしばらく立ち話をした。元気で良かった。じかに話ができて良かった。
お盆の東中同窓会がきっかけで、カフェ経営のO君と自動車屋経営のO君と3人で近所の居酒屋へ行くことに。
開店から閉店まで、飲んで食べてしゃべってしゃべって。とても楽しかった。
10月は例年イベントの多い月。
アフターコロナの時代になり、少年団や地域のイベントも元に戻るようだ。
日曜日はすべて詰まってしまうような気配・・。
個人的には。
還暦到達まで残りひと月となった。だからといってどうでもいい。ひとつ歳を重ねるだけのことだ。
しかし区切りは区切り。
予期せず息子から今日、私の誕生日翌日の4日(土)の予定を空けといてほしいとLINEがきた。
娘からのLINEには「お寿司でいいかな?}と。
孫娘はまだ離乳食が始まったばかりのバブバブなので、会場は娘宅になるのかなと想像。素直にうれしい。
ついでに。
アジカンの新譜「サーフ・ブンガク・カマクラ 完全版」がリリースされ、ライブツアーも始まった。

18日、ZeppNagoyaに息子と二人参戦する。今月はこれが楽しみ。
同じバンドが好きで、ライブも29息子と59親父が現地で合流。終わったら焼肉~終電の予定。
かれこれ息子とのアジカンライブ参戦は次で5回目か。
「イエ~!」「オーライ!」「ラッセーラッセー!」を親子で勝手に叫びたい。
ニュースで聞くまで知らなかった。
今日は十五夜だ。
家族LINEで知らせたら、嫁と娘から写真が送られてきた。
ほぼ同時刻っぽいのがおもしろい。
自宅より

娘宅より

地球の衛星、と言ってしまえばそれまでだが、月は何となく神秘的・魅力的である。
都市伝説にもよく出る。
インドの探査機がどうのこうのというニュースは今朝のことだった。
人っけのない静かな河原か山奥でちんまりと焚き火でもしながらずっと眺めていたいものだ。
好天に恵まれた9月3日。
揖斐郡の粕川へ電車・バス・徒歩で行ってきた。参加団員は9人、みな粕川は初体験だ。


かつてはオートキャンプ場だったところ。
キャンパーのマナーの悪化により「キャンプ・BBQ禁止」となり河川敷への車の乗り入れもできなくなった。
禁止になったことにより利用者は日帰り水浴の家族連れが多くなりこの日も平穏な雰囲気だった。
学校プールの水泳授業ももう終わったと団員が言っていた。
コロナ禍で学校のプールさえ使えない年が数年続いた。
粕川の体験も数年ぶりの実施だ。
スイミングスクールに通っていない子どもたちは果たして泳げるのだろうか?
という不安もあり、水深の深いところには立ち入らないよう行動範囲を制限した。
(かつては真っ黒けの海パン男子が足も付かない深みに堰堤の上からダイブしまくっていたが・・これも時代の流れ。)
今回も自分は「水に入る係」。
川の水は水温が低く流れがある。流れは強いところも弱いところもある。水深も浅いところ深いところがある。
シューズの中に砂がどんどん入る。足元はデコボコ。藻が生えた石は踏むと滑る。
「川をナメたらあかん」を教えたかった。自分も中学のとき根尾川でマジでおぼれそうになったことがある。ナメていた。
参加団員の子どもたちはみな未体験の貴重なスリルを味わってくれたことと思う。
場所が川原なので「石積み競争」や「水切りに挑戦」も体験させた。
「石積み」はユイが初体験ながら素晴らしい才能を発揮しどっちが高く積めるか、のガチンコ勝負に圧倒的な強さを見せた。
林リーダーのそれは途中で何度も瓦解・・涙。
「水切り」は経験がないのだろう、全然できない子が複数いた。やって見せると「すごい!」と称賛(笑)され、
「教えて教えて!」と言うので、石は指先ではじくように速く回転させること、水面ギリギリの角度でサイドハンドスロー、
テイクバックをつけて、丸くて平ぺったい石を探して、、かつてないほど真剣に教えた。

写真は石積みと水切りと子どもの監視を同時進行中の図。
ユイは着々と石を高層化。サヨは石を回転させながら投げることが出来ず基本から指導中。
写真には写っていないが、自分の背後でライフジャケットを装着した子どもが「林リーダー、行くよー!」と流れ出す。。
めちゃんこ忙しかった。
あっという間に時間が過ぎ、気づけば自分の腕と首のうしろは真っ赤っか。
お昼のお弁当も、まだ自分が食べ終わらないうちから「川に入っていい!?」と。
よっぽど楽しかったんだろうねえ。うん、良かった良かった。
ちなみに今朝6時に杉野リーダーと林リーダーは現地に行って水量・水深の確認をして、
「今日の活動の実施は粕川でOKか?」の検討をしている。
長い一日になった。
団員の子どもたちが「楽しかった」「いい体験ができた」と記憶にとどめてくれればうれしい。
ネックは健民少年団全国大会。終わってみればやれやれだが直前のドタバタといったら!
仕事も忙しく、それらを何とかするには早朝出社しかない。

が、世の中には自分よりも毎日早起きで出社している人もいるし、
もっと早起きしてトレーニングと犬の散歩を日課としているすごい人もいる。自分なんて全然もしもしである。
さて、健民少年団全国大会が終わったらお盆に5年に一度の大垣東中同窓会。自分も幹事グループの一員。
盆明けはいきなり高校同窓会130周年事業に巻き込まれ、すぐに二泊三日の健民少年団山奥キャンプ。
仕事も住宅新築・住宅リフォーム・アパート改修が次々とスタート。
高校の同級生宅の大規模リフォームに信頼できる建築士さんをセッティング。現調ヒアリングに同行。
誰かが自分のことを『若いなー』と言った。いつどこで誰に言われたか忘れた。これすでに若くない証拠かも(笑)。
うろうろしているヒマはないだけのこと。
高級腕時計はめて高級車に乗ってゴルフ三昧の人間ではないのは確か。
自分は自分をダサい男だと思う。
別にそれでいい。今が頑張るとき。
70になったとき「イケてるジジイ」になっていたい。
いま漠然とそう思う。
恒例の二泊三日キャンプ。野外活動訓練の成果を出す場ともいえる。
ここ数年、三日間のうち必ずどこかで大雨が降るという災難に見舞われてきたが、
今年は二日目の夜に少し降っただけで、団員の子どもたちも無事テント泊をすることができた。
やや雲が多めの初日


男子の団員で唯一参加のハルマは一人でテント泊してくれた。

初日の夜の食事風景

二日目朝の食事風景

Tシャツがそろって並んでいるのはなかなかいい。
いままで学校での黙食に慣れているのか、食事中はとても静か。
私は個人的に(とてもお腹が減っていて、食事がとてもおいしいから、しゃべるのも忘れているのだな)と思った。
就寝も早く、興奮して寝られず夜遅くまでしゃべってリーダーに注意される、ということもなく。
二泊とも団員の子どもたちはぐっすり眠れたようだ。
猛暑日の下界とは違い日中でも3~5度気温が低かったはずだ。
大きなケガもなく初参加の4人を含む参加団員9人全員が無事に日程を終えた。
彼ら彼女らがこのキャンプ体験を経てまたひとつ心身ともにたくましくなってくれたらうれしい。
三日目、最終日。
朝のつどい、朝食の後は居住区の解体作業と掃除だ。さすがに「ぶっこわす」だけなので早かった(笑)。

この後は閉会式、解散。
いちばん遠い新潟県村上市・新発田市はバスで8時間くらい?かかるので12時すぎには出発した。
大垣の団員とスタッフは駐車場まで見送りに出た。
大垣の団員も12:30には保護者のお迎えで解散。
さてさて、そこからが大垣スタッフの後片付けである。
おびただしい「かさ」のダンボールを数台の運搬車両で搬出。借用品の返却。
最後に大垣市総合体育館の玄関前で円陣を組んで大杉団長の言葉をいただいて、解散した。夕方近かった。
いい大会だったと思う。
テーマがしっかりスジが通っていたし、これからの生活に役立つ内容だった。
参加した団員の子どもたちも日ごろから家庭・学校・所属の団でよく指導されているのだろう、聞きわけがよい、時間を守る、
きちんと列に並ぶ、ケンカしない、良い子ばかりだった。
ずっとスタッフの不足を懸念していたが、善意の協力スタッフが予想以上に多く集まってくれたことがうれしかった。
数年ぶりに会う後輩も何人もいた。ほんとに助かった。ありがたかった。
「手伝おうか?」「〇〇したらいいんか?」60代70代の先輩方も気さくにどんどん動いてくださった。大感謝だ。
絆が太く、本番に強い。大垣市健民少年団の底力を見た感じだ。
そして、埼玉県川口市から単独参加し全日程を大垣スタッフとして動いてくださった「ミスター健民少年団」の倉重さん、
本当にありがとうございました。
皆さん、お疲れ様でした。
ありがとうございました。
大会二日目。
6時起床。6:30から「飛翔の掌」広場で「朝のつどい」。ラジオ体操・朝のお話し・健康チェック・諸連絡。

朝食後の清掃の後は防災支援ネットワークの方から「自然災害と防災」についてのレクチャーをいただき、
9:00からは全員が野外へ出る活動「ポイントラリー」だ。
男女別の「居住区班」とは別の、男女混成の「活動班」をつくり活動班ごとに16個のポイントを徒歩でまわるというもの。
活動班は全12班。各班に参加他都市を含む指導者を配しフォローをお願いした。

各ポイントには、防災倉庫の見学(大垣市職員の方、説明をありがとうございました。)、
歴史ある神社、自噴水井戸、ハリヨの池、クイズ、など様々な設定をした。
この活動も昨年から何度も下見を兼ねた試走(?)を行ない、日陰の有無・交通の安全・給水のポイント・トイレなどなど、
検討を重ねてきた。最も注意すべき熱中症対策も、救護所として地元の瀬古地区のご協力を得て自治会館をお借りできたり、
健少OGの現役ナースを配置したり、行程の中ほどでチューチューアイスを提供したり、準備をした。
本部兼スタート・ゴールは曽根城公園に設置。(もちろん大垣市に使用許可申請済み)

本番は熱中症を含む体調不良者を出すこともなく無事に終えることができた。よかった。
昼食は非常食体験。大垣市からいただいたアルファ米。パックにお湯を入れて15分待つとほかほかご飯ができあがる。
午後からは防災・災害非難の体験学習。12の活動班が順に4つのメニューを体験しながら回った。
4つのメニューは、
①消火器体験・スモーク体験・担架体験 大垣北消防署の皆さんありがとうございました。
②震災事例のレクチャー
③防災トイレ設営体験
④牛乳パックの笛・新聞紙スリッパの製作体験 ②③④は防災支援ネットワークの方々の指導で行なった。
消火器体験の様子

毛布と物干し竿を用いた担架体験の様子

震災事例レクチャーの様子

防災トイレ設営体験の様子(モデルは埼玉県川口市より単独参加のミスター健少こと『倉重指導員』)

笛・スリッパ製作体験の様子

このあとはクロスロードゲーム。正解のない設問に対し、個人のイエス・ノーを「せーの」で表明したあと、
グループ内でディスカッションし、考えの共有、相互理解、多種多様な考え方の存在、を学ぶものだ。

設問の一例としては
「大地震が起き小学校体育館への避難指示が出ました。あなたは家族同様のペットのGレトリバーを連れて行きますか?」
私も大人の指導者ばかり7人のテーブルで参加したが、たいへん学びの多い良い体験ができたと思っている。
夕食後は前日と同様シャワーを順番に浴びてもらい、それと並行した夜の活動は「災害の夜体験」。
体育館の照明を敢えて消した不便な環境の中で自由に過ごしてもらった。
大垣スタッフが準備した段ボール製巨大ジェンガで遊んだり、居住区ブースの中で懐中電灯の明かりでトランプをしたり。
参加団員たちはすでに都市団の垣根を越えて新しい友だちを作っていて、あとで回収した「感想・反省カード」には、
「楽しかったこと」の項目に「トランプ」と答えていた団員がかなりの数あった。
この夜も22:00には完全に消灯し、涼しく静かな第二体育館の夜は更けていった。
8月4日 大会初日。
スタッフは7:30集合。まずは借用物品の運び込みと、段ボールを学生会館から第二体育館へ移動。すでに汗だく。
そこから各持ち場に分かれて準備に取りかかった。自分は開会式の準備。

司会は初挑戦の若い大橋さん。過去大会で司会をつとめたお姉様方から直接指導。いい光景だった。

参加都市団は、バスで夜通し走って朝8:30大垣に到着した新潟県村上市と新発田市。
その後14:00の開会式までに横浜市・豊橋市・彦根市・守口市が無事に会場の岐阜協立大学第二体育館に到着した。
今大会の大きな特徴は「防災・避難の体験学習」だ。二泊三日を通して様々なメニューが盛り込まれている。
開会式ののち今大会の協力団体のひとつである『NPO防災支援ネットワーク』の方から
「避難所とプライベート空間」についてのレクチャーをいただいた。
阪神淡路大震災直後の避難所(体育館)の、足の踏み場もなくプライバシーもない、たくさんの人々の雑魚寝状態の写真から、
避難所に必要なことは何かを学んでもらった。

いよいよ、初日の目玉である『段ボールパーテーションによる居住区の設営』である。
居住区班の6人がひとつのブースの中で寝起きする。自分たちの避難所(=家?)を自分たちで作る。
綿密に計算され、何度も試作を繰り返した大垣団オリジナルだ。


段ボールパネルには切れ込みが設けてあり、接合部とコーナー部分は三角形のジョイントパーツとクラフトテープで補強する。
プラモデルみたいだが、いかんせん子どもたちにはサイズがでかい。居住区班各班に高校生以上の大人が配置された。
体育館中央でパートを区切って説明と実演をし、それを見たあと自分の居住区に戻って同じことをやる、を繰り返した。

大人も子どもも一緒。参加都市団の指導者も初体験。夕食の時間に食い込んだら?という心配をよそにうまく出来上がった!
通路を確保し、男女の居住区を明確に分け、体育館中央は全員が集まれるスペースをつくり、本部・救護スペース・倉庫・
スマホ充電スペースも用意した。きちんと区画整理された避難所の街並みが出来上がった。



ただ、参加団員の子どもたちには「避難所」なので再避難・移動もあり得ることも想定して、
もっと身の回りの整理整頓を促すべきだったと反省している。
ある男子のブース

私たち指導者のブース

ともあれ、段ボールパーテーションによる居住区は大会期間中は破損も倒壊もなく「これは使える」を実証する結果となった。
夕食後は班ごとにシャワーを浴びてもらい、シャワーの順番待ちの参加者にはオリジナルのトートバッグの作成と、
ペットボトルホルダーの作成をしてもらった。
実はこのシャワーが大会運営上の大きな課題のひとつだった。というのも第一・第二体育館にはそれぞれ男女各3~4カ所の
シャワーブースしかなく、よほど効率的に回転させないと指導者を含めた約150人参加者全員が浴びられない。
もたもたしていると最終大垣スタッフがシャワーを使用するのは夜中の3時になるという悲しい試算も出ていた。
ひと班あたり25分としてスケジューリングし参加他都市の指導者の応援もいただきながらどんどん回した。

結果的に参加団員の子どもたちが短時間にシャワーを終えてくれたので予定より早く終えることができた。
そして夜22:00には団員は就寝、第二体育館の照明を落とすことができた。よかった。
付け加えると、岐阜協立大学でも最も新しい建物である第二体育館は空調が行き届いており、トイレも快適で言うことなし。
涼しい環境ですべての参加者がぐっすり眠ることができた。これはほんとにありがたかった。

(8月5日岐阜新聞朝刊に掲載)
昨年開催予定だった大会だがコロナの全国的な感染拡大により7月に中止の決断がなされた。
そして今年ついに開催にこぎ着けた。
実行委員会の面々は9年前とほぼ変わらず9歳歳をとった。毎週水曜日19時から21時過ぎまで打合せを行ない議論を重ねた。
それ以外の日はもっぱらメールでやり取りをしたがメールと添付ファイルは膨大な数になった。
活動行事の中心人物が大会直前にコロナ感染したり、団長が開催日前々日に発熱したり(結果陰性)とかなり肝を冷やした。
ほんとに一時はどうなることかと思った。

大会前日の3日(木)は会場の岐阜協立大学の学生会館2Fへ物品の搬入をした。
スタッフの多くは会社を休んでの参加だ。自分も午後から現場作業を抜けてきた。
食事を取り仕切った松岡事務局長

飲み物は水とお茶。参加者には無制限で提供した。

食事は外部の業者から弁当が毎食配達された。お味噌汁はカップのインスタント。

この日の大事なミッションは翌日使用する段ボール(1800×2000サイズの大判208枚)の搬入とカット作業だった


トラックからは人力で2階へ上げ、スタッフが手分けしてカット作業を行なった。
この日、学生会館は18:00までしか借りられずそれまでに作業が終わらかった場合は大会初日の朝に残りの作業をする
ことになるため、みんなで頑張った。想定以上のスタッフ協力があったので時間内に終えることができた。よかった。
その後自分は数名のスタッフとともに大垣市総合体育館へ向かい、荷室をカラにした自社のハイエースに借用物品
(机・パイプいす・音響設備・演台などなど)を積み込んで帰った。
明朝はこれらを第二体育館へ搬入することから始まる。