肺がんBookvol.4から インタビュー記事  米澤晴美さん 前編 | NPO法人 肺がん患者の会 ワンステップ

NPO法人 肺がん患者の会 ワンステップ

2024年4月、10年目突入。肺がん患者・家族の「いきる勇気」につながればいいなと思っています。

みなさんこんにちは!

 

 

昨年秋に発行した「肺がんBook VOl.4」

 

 

 

 

 

こちらの特集記事の、3名の方へのインタビューを

改めてご紹介します。

 

今回ご紹介するのは、米澤 晴美 さんです

 

 


●「病を誇りに変える人」インタビュー③

●患者会での活動、講演で人々に語りかける
  米澤 晴美
さん(患者家族)

●「闘病生活も、二人の大事な人生の一部です」


●治療・活動歴
2013年12月    夫に咳が出始める
2014年1月   耳鼻咽喉科へ
2014年2月初旬    呼吸器内科で肺がんと診断(縦郭原発の小細胞肺がんステージ4)
2014年2月中旬

   ~2016年3月  化学療法
2016年4月     無治療となり在宅看護に

2016年5月 自宅で最期を迎える

 その後、NPO法人肺がん患者の会「ワンステップ」に参加。活動の手助けや講演活動を行う


●米澤晴美さんのご主人が、小細胞肺がんと診断されたのは2014年でした。病院での治療を終え、最期はご自宅で迎えられました。ご主人の闘病を支えた米澤さんは、その後、肺がん患者の会「ワンステップ」に出会い、活動の手伝いや講演活動をするようになりました。

日ごろからよく話をしていた仲の良いご夫婦の闘病生活や活動への思いを伺いました。

 

 

●夫が肺がんに 夫婦2人暮らしでした

 

ー米澤さんは、ご家族が患者さんだったのですね。

 

主人が患者でした。夫婦2人暮らしでした。子供たちは結婚して近くに住んでいます。孫は3人でしたが、今は4人になっています。

 

ー病気の経緯を教えてください。

 

病気が分かったのは2014年2月でした。前年の12月頃から咳が出始め、血圧の薬をもらっていた病院では「咳は長引くからね~」と言われたと話していました。丁度その頃知人から耳鼻咽喉科がいいかもと聞き耳鼻咽喉科へ。3回薬を変えても良くならなかったので呼吸器内科を受診するようにと言われました。

その間、レントゲンも撮っていました。駅長室で休ませてもらった事が何度かあったので、近くの総合病院で検査をしてもらったのですが問題なしという事でした。2014年2月に職場近くの呼吸器内科のある病院を受診し、そこで「肺がん」だと言われました。主人は一人で病院へ行っていましたので私は職場で主人からの電話で「肺がん」と聞きました。翌日紹介状を持って総合病院を受診し一連の検査を受けて、告知。フィフスラインまで抗がん剤治療を受け、使える薬がなくなり無治療を選択し、在宅で約二カ月過ごし亡くなりました。仕事は在宅になったと同時に休職しました。

 

ー医師からはどのような説明がありましたか。

 

外来を挟むと治療が遅くなるからと、入院と同時に告知を受けました。初診から2週間後でした。子供達も一緒に4人で聞きました。

縦郭原発の小細胞肺癌、肺内転移、背骨に転移有り。ステージⅣで心臓に近すぎて手術も放射線も出来ないという事でした。

先生から聞きたいことはないですか?と言われましたが、ステージⅣという言葉で頭は真っ白。それでも何か聞かないといけないと思った私はステージⅣのイメージをそのまま口に出していました。

言った後でしまったと思いましたが先生は「体力もあるから治療ができるから終末期というわけではない。」「余命は誰にも分らない。」と言われました。この時点で今すぐどうにかなるわけではないと思いました。この時は同じことを認識出来ていたと思います。結果的には聞いて良かったです。

 

ー治療中の、米澤さんはどのように過ごしていましたか。

 

入院中は毎日、病院に顔を出していましたし、ファーストラインの通院日は、休みを取って一緒に行っていました。セカンドラインからは主治医の診察日のみ一緒に行っていました。職場が近かったので通勤の行き帰りは一緒でした。

 

●同じ話を聞いても心に残る言葉は同じではない

 

ー治療中、気づいたことはありますか。

 

初めて主人と認識が違うと感じたのが、先生から経過観察についての話を聞いたときでした。小細胞肺癌は何クールか行い、効いていると経過観察をして様子を見るという治療法です。6クールして完全には消えませんでしたが、小さくなっているので経過観察をすることになりました。

主人は先生に「1年は大丈夫だろうか」と聞きました。先生は「1年あく人はまずいない。6ヶ月もあかないだろう、早ければ2~3ヶ月」と言われました。家に帰って話をしていると主人は6ヶ月、私は2~3ヶ月という言葉が残っていました。もしかしたら主人はいいように受け止めたかったのかも分かりませんが、同じ話を聞いても心に残る言葉は同じではないんだと気が付きました。

 

ーその後、お二人のコミュニケーションに変化はありましたか。

 

先生が言われたことは共通認識であった方がいいと思ったので、それからは診察に一緒に行っても家に帰ってからもう一度話をするようにしました。結局2か月後には癌は動き始め、3か月後には肝臓への転移が見つかりました。主人が6ヶ月と思ったままだったらもっとショックを受けたかもしれませんが、しっかりと話をしていたので、冷静に受け止めていたように思います。

病気の話が出来ない、治療中だから先の話は出来ないという事を耳にすることがあります。日頃からいろんな話をしていました。治療中だから先の話も軽く話していたように思います。口にしないとわからないことが沢山あります。話をすると言う事は大事なコミュニケーションだと思います。

 

 

 

✨✨インタビューは後編へ続きます✨✨
 

 

 

 

 

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本調査では*ウェアラブルデバイスと携帯電話用アプリを約1か月間使用していただき、期間終了後に使用感に関するインタビュー調査にご協力いただきます。

 

 

 

https://oncolo.jp/reserch/r20200304?fbclid=IwAR1jN5jWLx3OrLCITLm3tUBhjFjJMdja-AZnD9Cda50J21G_0LqgBJxDsTU

 

 

 

 

 

 

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